酔古堂剣掃 / 集醒・澹泊の守りは穠艷の場に試む
澹泊之守,須從穠艷場中試來;鎮定之操,還向紛紜境上勘過。
新字:澹泊之守,須従穠艶場中試来;鎮定之操,還向紛紜境上勘過。
書き下し
澹泊の守りは、須らく穠艷の場中より試み來るべし。鎮定の操は、還た紛紜の境上に向ひて勘へ過ぐべし。
現代語訳
あっさりと欲の少ない心の守りは、華やかで欲をそそる場の中で試してみなければなりません。落ち着いて動じない節操は、ごたごたと騒がしい境遇の中で確かめてみなければなりません。
解説
心の構えは、それを揺さぶる場に身を置いて初めて本物かどうかがわかる、と説く対句です。澹泊は欲が薄くさっぱりしていること、穠艶は華やかでこってりしたことで、両者は正反対の言葉として組み合わされています。鎮定は心が静まって動かないこと、紛紜は物事が入り乱れて騒がしいことです。静かな部屋で欲がないと言うのはたやすく、誘惑の前で同じでいられるかが試金石になります。菜根譚にもほぼ同じ句があります。自分の信念や落ち着きを、何も起きていないときの自己評価で決めつけないことが大切です。忙しい現場や誘いの多い場面こそ、自分の修養の度合いを測る機会だと考えるとよいでしょう。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
澹泊修身節制誘惑鍛錬
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