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酔古堂剣掃 / 集醒・安んぞ一服の清涼を得ん

食中山之酒,一醉千日。今世之昏昏逐逐,無一日不醉,無一人不醉,趨名者醉於朝,趨利者醉於野,豪者醉於聲色車馬,而天下竟為昏迷不醒之天下矣,安得一服清涼,人人解酲,集醒第一。

新字:食中山之酒,一酔千日。今世之昏昏逐逐,無一日不酔,無一人不酔,趨名者酔於朝,趨利者酔於野,豪者酔於声色車馬,而天下竟為昏迷不醒之天下矣,安得一服清涼,人人解酲,集醒第一。

書き下し

中山の酒を食へば、一たび醉ひて千日なり。今世の昏昏逐逐たる、一日として醉はざるは無く、一人として醉はざるは無し。名に趨る者は朝に醉ひ、利に趨る者は野に醉ひ、豪なる者は聲色車馬に醉ふ。而して天下竟に昏迷して醒めざるの天下と為れり。安んぞ一服の清涼を得て、人人をして酲を解かしめん。集醒第一。

現代語訳

中山の酒を飲むと、一度酔えば千日も醒めないといいます。いまの世の人々はぼんやりと何かを追いかけ回し、酔っていない日は一日もなく、酔っていない人は一人もいません。名声を追う者は朝廷で酔い、利益を追う者は民間で酔い、豪勢な者は音楽や女色、車や馬に酔っています。こうして天下はとうとう、正気を失って醒めない天下になってしまいました。どうにかして一服の清涼剤を手に入れ、人々の二日酔いを醒ましてやりたいものです。そこで醒を集めて第一とします。

解説

十二集の最初、集醒の頭に陸紹珩が置いた小序です。中山の酒とは、中山の狄希が造った千日酒で、飲めば千日も酔い続けたという話が『捜神記』に見えます。この故事を入り口に、名を求める人、利を求める人、豪奢を求める人が、それぞれの場で酔っている世の中を描きます。朝と野、声色と車馬という対比で、誰一人として例外がないことを強調しています。そのうえで、この集に収める警句を、酔いを醒ます一服の清涼剤にたとえています。忙しさや評判や欲に追われているとき、人は自分が酔っていることに気づきにくいものです。ここから始まる警句を、自分を醒ます薬として一つずつ味わっていく読み方が、編者の意図にかなっているでしょう。

この章句が説くこと

処世修身名利覚醒欲望

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