韓非子 / 功名第二十八
明君之所以立功成名者四:一曰天時,二曰人心,三曰技能,四曰勢位。
書き下し
明君の功を立て名を成す所以の者は四あり。一に曰く、天時、二に曰く、人心、三に曰く、技能、四に曰く勢位。
現代語訳
優れた君主が功績を立て名声を得る理由は四つある。第一は天の時(タイミング)、第二は人心(人々の支持)、第三は技能(専門性)、第四は勢位(立場・権限)である。
解説
優れた君主が功績を立て、名声を得るためには、四つの物事がそろわなければならないと説いています。第一は天の巡り合わせ、つまり物事に適した時機です。第二は人の心、つまり人々からの支持や信頼です。第三は技や能力、つまり自分自身の実力です。第四は勢いと立場、つまりそれを実行できるだけの後ろ盾や権限です。この四つのうち、たとえ実力があっても、時機がずれていたり、周りの支持がなかったり、実行するだけの立場がなければ、大きな仕事は成し遂げられません。これは会社の経営者だけでなく、地域の世話役や学校の先生にも当てはまります。自分の腕前を磨くことはもちろん大切ですが、それと同じくらい、周りの人の気持ちに寄り添い、機を見て動き、任された立場をきちんと活かすことが求められるのです。
この章句が説くこと
成功要因タイミング人心掌握専門性ポジションパワー
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