孫子 / 九地篇
凡為客之道,深則專,淺則散。去國越境而師者,絕地也;四達者,衢地也;入深者,重地也;入淺者,輕地也;背固前隘者,圍地也;無所往者,死地也。
新字:凡為客之道,深則専,浅則散。去国越境而師者,絶地也;四達者,衢地也;入深者,重地也;入浅者,軽地也;背固前隘者,囲地也;無所往者,死地也。
書き下し
凡そ客為るの道は、深ければ則ち専らに、浅ければ則ち散ず。国を去り境を越えて師する者は、絶地なり。四達する者は衢地なり。入ること深き者は重地なり。入ること浅き者は軽地なり。固きを背にし隘を前にする者は囲地なり。往く所無き者は死地なり。
現代語訳
攻め込む側の道はこうである。深く入れば心は一つになり、浅ければ散る。国を離れ国境を越えて軍を進めるのは絶地。四方に道が通じているのは衢地。深く入り込んだのは重地。浅く入ったのは軽地。背後が険しく前が狭いのは囲地。行き場がないのは死地である。
解説
中途半端が最も悪いという原則が、地形の分類の形で述べられている。深ければまとまり、浅ければ散る——新規事業でも、片足だけ突っ込んだ状態が一番人が散る。本気度が伝わらず、優秀な人ほど元の仕事に戻っていく。やるなら深く、やらないなら入らない。この二択を避けて浅く長く続けることが、実は最も高くつく。後段の分類は、自分がいまどの深さにいるかを自覚するための物差しとして読める。
この章句が説くこと
深浅中途半端新規事業本気度分類
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