学問のすゝめ / 四編・学者の職分を論ず・人民と政府と両立して
ゆえに一国の全体を整理するには、人民と政府と両立してはじめてその成功を得べきものなれば、わが輩は国民たるの分限を尽くし、政府は政府たるの分限を尽くし、互いに相助けもって全国の独立を維持せざるべからず。
書き下し
ゆえに一国の全体を整理するには、人民と政府と両立してはじめてその成功を得べきものなれば、わが輩は国民たるの分限を尽くし、政府は政府たるの分限を尽くし、互いに相助けて、もって全国の独立を維持せざるべからず。
現代語訳
ですから一国の全体を整えるには、人民と政府が両立してはじめて成功が得られるものですから、私たちは国民としての分を尽くし、政府は政府としての分を尽くし、互いに助け合って、全国の独立を維持しなければなりません。
解説
短い一段ですが、この編の主題が凝縮されています。人民と政府の両立。どちらか一方では成り立たないという構図で、第三編の当事者論を受けて、さらに具体的な役割分担へ進む蝶番になっています。互いに助け合う、という語が使われているのも大事で、対立でも従属でもない関係が想定されています。次の段でこの関係が身体の比喩で説明されます。
この章句が説くこと
両立分担協力独立役割
関連する章句
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孟子・公孫丑章句下孟子曰く、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。三里の城、七里の郭、環りて之を攻むれども勝たず。夫れ環りて之を攻むれば、必ず天の時を得る者有らん。然り而して勝たざる者は、是れ天の時、地の利に如かざればなり。城高からざるに非ざるなり。池深からざるに非ざるなり。兵革堅利ならざるに非ざるなり。米粟多からざるに非ざるなり。委して之を去るは、是れ地の利、人の和に如かざればなり。故に曰く、『民を域(かぎる)るに封疆の界を以てせず。國を固むるに山谿の險を以てせず。天下を威すに兵革の利を以てせず。』道を得る者は助け多く、道を失う者は助け寡し。助け寡きの至は、親戚も之に畔く。助け多きの至は、天下も之に順う。天下の順う所を以て、親戚の畔く所を攻む。故に君子は戰わざる有り。戰えば必ず勝つ。」
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孫子・九地篇敢えて問う、兵をして率然の如くならしむべきか。曰く、可なり。夫れ呉人と越人とは相悪むも、其の舟を同じくして済るに当たり、風に遇わば、其の相救うや左右の手の如し。
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孫子・用間篇郷間とは、其の郷人に因りて之を用うるなり。内間とは、其の官人に因りて之を用うるなり。
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『茶の本』第二章 茶の諸流・茶室は人世の荒野における沃地日本の茶の湯においてこそ、始めて茶の理想の極点を見ることができるのである。一二八一年蒙古襲来に当たって、わが国は首尾よくこれを撃退したために、シナ本国においては蛮族侵入のため不幸に断たれた宋の文化運動を、われわれは続行することができた。茶はわれわれにあっては、飲む形式の理想化より以上のものとなった。今や茶は生の術に関する宗教である。茶は純粋と都雅を崇拝すること、すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から無上の幸福を作り出す神聖な儀式を行なう口実となった。茶室は寂寞たる人世の荒野における沃地であった。疲れた旅人はここに会して、芸術鑑賞という共同の泉から渇をいやすことができた。茶の湯は、茶、花卉、絵画等を主題に仕組まれた即興劇であった。
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呂氏春秋・用眾②物には固より長有らざる莫く、短有らざる莫し。人も亦た然り。故に善く學ぶ者は、人の長を假りて以て其の短を補う。故に人に假る者は、遂に天下を有つ。
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孟子・梁惠王章句上孟子、梁の襄王に見ゆ。出でて人に語げて曰く、「之を望むに人君に似ず。之に就くに畏るる所を見ず。卒然として問うて曰く、『天下惡にか定まらん。』吾對えて曰く、『一に定まらん。』『孰か能く之を一にせん。』對えて曰く、『人を殺すを嗜まざる者、能く之を一にせん。』『孰か能く之に與せん。』對えて曰く、『天下與せざる莫きなり。王、夫の苗を知るか。七八月の間、旱すれば、則ち苗槁(かれる)れん。天、油然として雲を作し、沛然として雨を下さば、則ち苗浡然(ボツ・ゼン)として之に興きん。其れ是の如くなれば、孰か能く之を禦(とどめる)めん。今夫れ天下の人牧、未だ人を殺すことを嗜まざる者有らざるなり。如し人を殺すことを嗜まざる者有らば、則ち天下の民皆な領(くび)を引いて之を望まん。誠に是の如くなれば、民の之に歸すること、由ほ水の下きに就きて沛然たるがごとし。誰か能く之を禦めん。』」