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茶の本 / 第二章 茶の諸流・茶室は人世の荒野における沃地

日本の茶の湯においてこそ始めて茶の理想の極点を見ることができるのである。一二八一年蒙古襲来に当たってわが国は首尾よくこれを撃退したために、シナ本国においては蛮族侵入のため不幸に断たれた宋の文化運動をわれわれは続行することができた。茶はわれわれにあっては飲む形式の理想化より以上のものとなった、今や茶は生の術に関する宗教である。茶は純粋と都雅を崇拝すること、すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から無上の幸福を作り出す神聖な儀式を行なう口実となった。茶室は寂寞たる人世の荒野における沃地であった。疲れた旅人はここに会して芸術鑑賞という共同の泉から渇をいやすことができた。茶の湯は、茶、花卉、絵画等を主題に仕組まれた即興劇であった。

書き下し

日本の茶の湯においてこそ、始めて茶の理想の極点を見ることができるのである。一二八一年蒙古襲来に当たって、わが国は首尾よくこれを撃退したために、シナ本国においては蛮族侵入のため不幸に断たれた宋の文化運動を、われわれは続行することができた。茶はわれわれにあっては、飲む形式の理想化より以上のものとなった。今や茶は生の術に関する宗教である。茶は純粋と都雅を崇拝すること、すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から無上の幸福を作り出す神聖な儀式を行なう口実となった。茶室は寂寞たる人世の荒野における沃地であった。疲れた旅人はここに会して、芸術鑑賞という共同の泉から渇をいやすことができた。茶の湯は、茶、花卉、絵画等を主題に仕組まれた即興劇であった。

現代語訳

日本の茶の湯においてこそ、初めて茶の理想の極点を見ることができます。一二八一年の蒙古襲来にあたってわが国は首尾よくこれを撃退したため、中国本土では異民族の侵入によって不幸にも断たれた宋の文化運動を、私たちは続けることができました。茶は私たちにとって、飲む形式の理想化以上のものとなりました。今や茶は、生の術に関する宗教です。茶は純粋と雅やかさを敬うこと、すなわち主人と客が協力して、この時、この浮世の姿から最上の幸福を作り出す神聖な儀式を行うための口実となりました。茶室は、寂しい人生の荒野における緑の地でした。疲れた旅人はここに集い、芸術鑑賞という共同の泉から渇きを癒やすことができたのです。茶の湯は、茶、花、絵画などを主題に仕組まれた即興劇でした。

解説

茶の湯とは何かが、三つの比喩で示されます。荒野の中の緑の地、共同の泉、そして即興劇。とくに即興劇という捉え方が重要で、脚本のない、その一回きりの上演として茶会を見ています。主人と客が協力して作る、という点も大事で、もてなす側だけの仕事ではありません。一期一会という言葉の内実が、演劇の比喩で説明されている箇所です。

この章句が説くこと

茶室即興協力幸福休息

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