修証義 / 第四章 発願利生
若し菩提心を發して後、六趣四生に輪轉すと雖も。其輪轉の因緣、皆菩提の行願となるなり。然あれば從來の光陰は。設ひ空く過すといふとも。今生の未だ過ぎざる際に、急ぎて發願すべし。設ひ佛に成るべき功德熟して圓滿すべしといふとも。尙ほ廻らして衆生の成佛得道に回向するなり。或は無量劫行ひて、衆生を先に度して、自らは終に佛に成らず。但し衆生を度し、衆生を利益するもあり。
新字:若し菩提心を発して後、六趣四生に輪転すと雖も。其輪転の因縁、皆菩提の行願となるなり。然あれば従来の光陰は。設ひ空く過すといふとも。今生の未だ過ぎざる際に、急ぎて発願すべし。設ひ仏に成るべき功徳熟して円満すべしといふとも。尚ほ廻らして衆生の成仏得道に回向するなり。或は無量劫行ひて、衆生を先に度して、自らは終に仏に成らず。但し衆生を度し、衆生を利益するもあり。
書き下し
若し菩提心を発して後、六趣四生に輪転すと雖も。其輪転の因縁、皆菩提の行願となるなり。然あれば従来の光陰は。設ひ空く過すといふとも。今生の未だ過ぎざる際に、急ぎて発願すべし。設ひ仏に成るべき功徳熟して円満すべしといふとも。尚ほ廻らして衆生の成仏得道に回向するなり。或は無量劫行ひて、衆生を先に度して、自らは終に仏に成らず。但し衆生を度し、衆生を利益するもあり。
現代語訳
もし悟りを求める心を起こした後に、六つの世界、四つの生まれ方を巡ることがあっても、その巡る因縁はすべて悟りへの行いと願いになるのである。そうであるから、これまでの月日をたとえむなしく過ごしてきたとしても、この生がまだ過ぎ去らないうちに、急いで願いを起こしなさい。たとえ仏になるべき功徳が熟して満ちようとしていても、なおそれを振り向けて、衆生が仏となり道を得ることに回向するのである。あるいは限りない時をかけて行じ、衆生を先に渡して、自分は最後まで仏にならず、ただ衆生を渡し、衆生に利益を与え続ける者もいる。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻五示して云く、利他の行も自利の行も、たゞ劣なる方を捨てゝ勝なる方をとらば、大士の善行なるべし、老病を扶けんとて水菽の孝をいたすは、只今生暫時の妄愛、迷情の喜びばかりなり、迷情の有為に背きて無為の道を学せんは、設ひ遺恨は蒙ることありとも、出世の勝縁と成べし、是を思へ是を思へ、
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『正法眼蔵随聞記』巻一仏菩薩は人の来て請ふときは、身肉手足をも截れり、況や人来て一通の状をこはんに、名聞計りを思ふて其の事を聞かぬは是れ我執深きなり、人々ひじりならず、非分の事を云ふ人かなと、所詮なく思ふとも、我は名聞をすてゝ一分の人の利益とならば、真実の道に相応すべきなり、古人も其の義あるかと見ゆること多し、我も其の義を思ふて、少々檀那知音の思ひかけざる事を、人に申伝べて給はれと云事をば、文一通遣りて一分の利益を作すは易きことなり、
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老子 第7章天長く地久なり。天地の以て長且つ久しう能くする者は、以て其の自ら生ぜざるを以てなり。是を以て聖人は其の身を後(のち)にして身先(せん)し、其の身を外にして身存す。非ざるか其の無私なるや。故に能く其の私を成す。
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『正法眼蔵随聞記』巻三此の心を存ぜんと思はヾまづ無常を思ふべし、一期は夢の如し、光陰は早く移る、露の命は消ね易し、時は人を待ざるならひなれば、只しばらく存じたるほど聊かのことにつけても、人の為によく仏意に順はんと思ふべきなり、
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