修証義 / 第四章 発願利生
其形陋しといふとも。此心を發せば已に一切衆生の導師なり。設ひ七歲の女流なりとも。即ち四衆の導師なり。衆生の慈父なり。男女を論ずること勿れ。此れ佛道極妙の法則なり。
新字:其形陋しといふとも。此心を発せば已に一切衆生の導師なり。設ひ七歳の女流なりとも。即ち四衆の導師なり。衆生の慈父なり。男女を論ずること勿れ。此れ仏道極妙の法則なり。
書き下し
其形陋しといふとも。此心を発せば已に一切衆生の導師なり。設ひ七歳の女流なりとも。即ち四衆の導師なり。衆生の慈父なり。男女を論ずること勿れ。此れ仏道極妙の法則なり。
現代語訳
その姿がみすぼらしくても、この心を起こせば、すでに一切衆生の導き手である。たとえ七歳の女の子であっても、そのまま出家在家の男女すべての導き手であり、衆生の慈しみ深い父である。男か女かを論じてはならない。これこそ仏道の最も妙なる法則である。
解説
年齢も性別も外見も問わない、という強い平等の主張である。出典は『正法眼蔵』礼拝得髄の巻で、道元はそこで、女性だからと礼拝を拒むのは誤りだと繰り返し論じた。鎌倉時代にこれを明言したことは注目に値する。役職や年次ではなく、志のある者が導き手になるという考え方は、組織で若手や少数派の声をどう扱うかを考える際にも示唆を与える。見た目や属性で人を測る癖を正す節である。
この章句が説くこと
平等導師菩提心性別礼拝得髄志
関連する章句
-
孟子・盡心章句上公孫丑曰く、「伊尹曰く、『予、不順に狎れしめず。』太甲を桐に放ち、民大いに悅ぶ。太甲賢となる。又之を反し、民大いに悅ぶ。賢者の人臣為るや、其の君、賢ならざれば、則ち固より放つ可きか。」孟子曰く、「伊尹の志有れば、則ち可なり。伊尹の志無ければ、則ち篡うなり。」
-
荀子・大略篇公行子之(こうこうしし)、燕(えん)に之(ゆ)き、曾元(そうげん)に塗(みち)に遇(あ)ひて曰く、「燕君(えんくん)は何如(いかん)」と。曾元曰く、「志(こころざし)卑(ひく)し。志卑き者は物を軽んじ、物を軽んずる者は助けを求めず。苟(いやしく)も助けを求めずんば、何ぞ能(よ)く挙(あ)がらん。氐羌(ていきょう)の虜(とりこ)たるや、其の係累(けいるい)せらるるを憂へずして、其の焚(や)かれざるを憂ふ。夫(か)の秋毫(しゅうごう)を利として、国家を害(そこな)ひ靡(ほろぼ)す、然も且(か)つ之を為す、幾(あ)に知計(ちけい)を為すと為さんや」と。
-
史記 伯夷列伝子曰く、「道同じからざれば相ひ為に謀らず」と。亦た各々其の志に従ふなり。故に曰く、「富貴もし求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾も亦た之を為さん。如し求む可からずんば、吾が好む所に従はん」と。「歳寒くして、然る後に松柏の凋むに後るるを知る」。世を挙げて混濁して、清士乃ち見はる。豈に其の重んずること彼の若く、其の軽んずること此くの若くなるを以てせんや。
-
論語・里仁篇子曰わく、いやしくも仁に志せば、悪しきこと無し。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「名を好むの人は、能く千乘の國を讓る。苟くも其の人に非ざれば、簞食豆羹も色に見わる。」
-
葉隠・聞書第一一度打向へば、最早(もはや)其の道に入りたるなり。名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきかと思ひて、一度志すところが即ち聖人なり。後(のち)に修行して聖人に成り給ふにはあらず。十有五にして学に志すとは、即ち聖人なり。初発心時(しょほっしんじ)辨成正覚(べんじょうしょうがく)ともこれあるなり。