修証義 / 第四章 発願利生
菩提心を發すといふは、己れ未だ度らざる前に、一切衆生を度さんと發願し營むなり。設ひ在家にもあれ、設ひ出家にもあれ、或は天上にもあれ、或は人間にもあれ。苦にありといふとも。樂にありといふとも早く自未得度先度佗の心を發すべし。
新字:菩提心を発すといふは、己れ未だ度らざる前に、一切衆生を度さんと発願し営むなり。設ひ在家にもあれ、設ひ出家にもあれ、或は天上にもあれ、或は人間にもあれ。苦にありといふとも。楽にありといふとも早く自未得度先度佗の心を発すべし。
書き下し
菩提心を発すといふは、己れ未だ度らざる前に、一切衆生を度さんと発願し営むなり。設ひ在家にもあれ、設ひ出家にもあれ、或は天上にもあれ、或は人間にもあれ。苦にありといふとも。楽にありといふとも早く自未得度先度佗の心を発すべし。
現代語訳
悟りを求める心を起こすとは、自分がまだ彼岸に渡らないうちに、一切の衆生を渡そうと願いを起こし、努めることである。在家であっても、出家であっても、天上界にあっても、人間界にあっても、苦しみの中にあっても、楽しみの中にあっても、早く、自分がまだ渡らないうちにまず他者を渡す、という心を起こしなさい。
解説
第四章「発願利生」の始まりであり、大乗仏教の核心である菩提心を定義する節だ。自未得度先度他は、自分が救われる前にまず他者を救おうとする心のことである。自分が完成してから人を助けるのではない、未熟なうちから人のために動け、という順序の逆転がここにある。在家か出家か、苦しいか楽しいかを問わない、とわざわざ並べているのは、条件が整うのを待つ言い訳を一つずつ封じるためだろう。
この章句が説くこと
菩提心自未得度先度他利他発願大乗他者
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