修証義 / 第三章 受戒入位
若し薄福少德の衆生は、三寳の名字猶ほ聞き奉らざるなり。何に况や歸依し奉ることを得んや。徒らに所逼を怖れて、山神鬼神等に歸依し、或は外道の制多に歸依すること勿れ。彼は其歸依に因りて衆苦を解脫すること無し。早く佛法僧の三寳に歸依し奉りて、衆苦を解脫するのみに非ず、菩提を成就すべし。
新字:若し薄福少徳の衆生は、三宝の名字猶ほ聞き奉らざるなり。何に況や帰依し奉ることを得んや。徒らに所逼を怖れて、山神鬼神等に帰依し、或は外道の制多に帰依すること勿れ。彼は其帰依に因りて衆苦を解脫すること無し。早く仏法僧の三宝に帰依し奉りて、衆苦を解脫するのみに非ず、菩提を成就すべし。
書き下し
若し薄福少徳の衆生は、三宝の名字猶ほ聞き奉らざるなり。何に況や帰依し奉ることを得んや。徒らに所逼を怖れて、山神鬼神等に帰依し、或は外道の制多に帰依すること勿れ。彼は其帰依に因りて衆苦を解脫すること無し。早く仏法僧の三宝に帰依し奉りて、衆苦を解脫するのみに非ず、菩提を成就すべし。
現代語訳
もし福が薄く徳の少ない衆生であれば、三宝の名さえ聞くことができない。まして帰依することなどできようか。いたずらに差し迫った恐れにおびえて、山の神や鬼神などに帰依したり、仏教以外の教えの霊廟に帰依したりしてはならない。彼らは、その帰依によって多くの苦しみから解き放たれることはない。早く仏法僧の三宝に帰依して、多くの苦しみから解き放たれるだけでなく、悟りを成就しなさい。
解説
恐怖に駆られて何にでもすがる心の弱さを戒める節である。所逼は、身に迫る不安や災難のことだ。追い詰められたとき、人は手近で即効性のありそうなものに頼りたくなる。だが道元は、それでは苦しみから本当に抜け出すことはできないと言う。宗教の選択の話として読むだけでなく、不安なときほど一時しのぎの解決策に飛びつかず、根本の拠り所を確かめよ、という教訓として受け取ることができる。
この章句が説くこと
帰依不安拠り所三宝迷信苦
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