修証義 / 第二章 懺悔滅罪
我昔所造諸惡業。皆由無始貪瞋癡。從身口意之所生。一切我今皆懺悔。是の如く懺悔すれば、必ず佛祖の冥助あるなり。心念身儀發露白佛すべし。發露の力、罪根をして銷殞せしむるなり。
新字:我昔所造諸悪業。皆由無始貪瞋痴。従身口意之所生。一切我今皆懺悔。是の如く懺悔すれば、必ず仏祖の冥助あるなり。心念身儀発露白仏すべし。発露の力、罪根をして銷殞せしむるなり。
書き下し
我昔所造諸悪業。皆由無始貪瞋癡。従身口意之所生。一切我今皆懺悔。是の如く懺悔すれば、必ず仏祖の冥助あるなり。心念身儀発露白仏すべし。発露の力、罪根をして銷殞せしむるなり。
現代語訳
私が昔から造ってきたさまざまな悪業は、みな始まりのない昔からの貪り、怒り、愚かさによるものであり、身と口と心から生じたものである。そのすべてを、私はいまみな懺悔する。このように懺悔すれば、必ず仏祖の目に見えない助けがある。心に念じ、身を整えて、ありのままを仏に打ち明けなさい。打ち明ける力が、罪の根を消し去ってくれるのである。
解説
前半の漢文四句は懺悔文と呼ばれ、曹洞宗に限らず多くの宗派で唱えられる。悪業の原因を貪り、怒り、愚かさの三毒に見定め、それが身と口と心の三つを通して表れると整理している。発露白仏は、隠さず打ち明けること。問題を言葉にして外に出すと、それだけで解決に向かい始めるという経験は多くの人にある。原因を見定め、隠さず出す。反省の手順として、今日でもそのまま通用する形である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
懺悔文三毒貪瞋痴貪瞋癡発露身口意
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