修証義 / 第一章 総序
生を明らめ死を明らむるは、佛家一大事の因緣なり。生死の中に佛あれば生死なし。但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭ふべきもなく。涅槃として欣ふべきもなし。是時初めて生死を離るゝ分あり。唯一大事因緣と究盡すべし。
新字:生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり。生死の中に仏あれば生死なし。但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭ふべきもなく。涅槃として欣ふべきもなし。是時初めて生死を離るゝ分あり。唯一大事因縁と究尽すべし。
書き下し
生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり。生死の中に仏あれば生死なし。但生死即ち涅槃と心得て、生死として厭ふべきもなく。涅槃として欣ふべきもなし。是時初めて生死を離るゝ分あり。唯一大事因縁と究尽すべし。
現代語訳
生とは何か、死とは何かを明らかにすることは、仏教者にとって最も大切な一大事である。生死のただ中に仏があれば、生死に振り回されることはない。ただ生死がそのまま涅槃であると心得て、生死だからといって厭うべきものでもなく、涅槃だからといって願い求めるべきものでもない。そう心得たときに初めて、生死を離れる分が生まれる。ただこの一つを一大事の因縁として究め尽くしなさい。
解説
修証義は、明治二十三年(一八九〇)に曹洞宗が在家の信者向けに編んだ経典で、道元の『正法眼蔵』から要文を抜き出して五章三十一節に整えたものである。その冒頭がこの節で、生死の問題を正面に据える。生死を嫌って悟りに逃げるのでもなく、悟りを求めて生を軽んじるのでもない。生きることも死ぬことも、そのまま引き受ける場所に仏がいる、という見方である。人生の問いを後回しにしない構えがここにある。
この章句が説くこと
生死涅槃一大事修証義死生観道元
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