春秋左氏伝 / 哀公二十七年 能く恥を忍ぶ
悼之四年,晉荀瑤帥師圍鄭,未至,鄭駟弘曰:「知伯愎而好勝,早下之,則可行也。」乃先保南里以待之。知伯入南里,門于桔柣之門,鄭人俘酅魁壘,賂之以知政,閉其口而死。將門,知伯謂趙孟,入之,對曰:「主在此。」知伯曰:「惡而無勇,何以為子?」對曰:「以能忍恥,庶無害趙宗乎?」知伯不悛,趙襄子由是惎知伯,遂喪之。知伯貪而愎,故韓魏反而喪之。
新字:悼之四年,晋荀瑤帥師囲鄭,未至,鄭駟弘曰:「知伯愎而好勝,早下之,則可行也。」乃先保南里以待之。知伯入南里,門于桔柣之門,鄭人俘酅魁塁,賂之以知政,閉其口而死。将門,知伯謂趙孟,入之,対曰:「主在此。」知伯曰:「悪而無勇,何以為子?」対曰:「以能忍恥,庶無害趙宗乎?」知伯不悛,趙襄子由是惎知伯,遂喪之。知伯貪而愎,故韓魏反而喪之。
書き下し
悼の四年、晉の荀瑤、師を帥ゐて鄭を圍む。未だ至らざるに、鄭の駟弘曰く、「知伯は愎にして勝つことを好む。早く之に下らば、則ち行らしむ可きなり」と。乃ち先づ南里を保ちて以て之を待つ。知伯、南里に入り、桔柣の門に門す。鄭人、酅魁壘を俘にし、之に賂するに知政を以てす。其の口を閉ぢて死す。將に門せんとす。知伯、趙孟に謂ふ、「之に入れ」と。對へて曰く、「主、此に在り」と。知伯曰く、「惡にして勇無し。何を以て子と為れる」と。對へて曰く、「能く恥を忍ぶを以て、庶はくは趙宗を害すること無からんか」と。知伯悛めず。趙襄子、是に由りて知伯を惎み、遂に之を喪ぼす。知伯は貪にして愎なり。故に韓・魏、反して之を喪ぼす。
現代語訳
悼公の四年、晋の荀瑤(知伯)が軍を率いて鄭を包囲した。まだ到着しないうちに、鄭の駟弘は言った。「知伯は強情で勝つことを好む。早めにへりくだっておけば、引き揚げさせることができる」。そこでまず南里の城を固めて知伯を待った。知伯は南里に入り、桔柣(きつてつ)の門を攻めた。鄭人は晋の酅魁塁(けいかいるい)を捕虜にし、鄭の政治を任せると言って買収しようとした。しかし酅魁塁は口を閉ざして応じず、殺された。いよいよ城門を攻めようとするとき、知伯は趙孟(趙襄子、趙無恤)に「攻め入れ」と言った。趙孟は答えた。「総大将のあなたがここにおられます(あなたが行かれればよい)」。知伯は言った。「顔も醜く勇気もない。どうしてこんな者が跡継ぎになったのか」。趙孟は答えた。「恥を忍ぶことができるからです。それで趙の一族を損なわずにすむのではないでしょうか」。知伯は態度を改めなかった。趙襄子はこのときから知伯を憎み、ついに知伯を滅ぼした。知伯は貪欲で強情であった。だから韓氏と魏氏が寝返って、ともに知伯を滅ぼしたのである。
解説
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戦国策・知伯帥趙韓魏而伐范中行氏知伯、趙・韓・魏を帥いて范中行氏を伐ち、之を滅ぼす。休すること數年、人をして地を韓に請わしむ。韓康子與えんと欲せず、段䂓諫めて曰く、「不可なり。夫れ知伯の人と爲りや、利を好みて鷙復なり、來りて地を請いて與えずんば、必ず兵を韓に加えん。君其れ之に與えよ。之に與うれば彼狃れて、又將に地を他國に請わんとす、他國聽かずんば、必ず之に鄉うに兵を以てせん。然らば則ち韓は以て患難を免れて、事の變を待つ可し。」康子曰く、「善し。」使者をして萬家の邑一を知伯に致さしむ。知伯說び、又人をして地を魏に請わしむ。魏宣子與えんと欲せず。趙葭諫めて曰く、「彼地を韓に請い、韓之に與う。地を魏に請いて、魏與えずんば、則ち是れ魏內自ら強くして、外知伯を怒らすなり。然らば則ち其の兵を魏に錯くこと必せり。之に與うるに如かず。」宣子曰く、「諾。」因りて人をして萬家の邑一を知伯に致さしむ。知伯說び、又人をして趙に之かしめ、蔡・皋狼の地を請わしむ。趙襄子與えず。知伯因りて陰かに韓・魏を結び、將に以て趙を伐たんとす。趙襄子張孟談を召して之に告げて曰く、「夫れ知伯の人と爲り、陽には親しみて陰には疏んず、三たび韓・魏に使いして、寡人與からず、其の兵を移すこと寡人に必せん。今吾安くにか居りて可ならん。」張孟談曰く、「夫れ董閼安于は簡主の才臣なり、世々晉陽を治め、尹澤之に循う、其の餘の政教猶お存す、君其れ晉陽に居を定めよ。」君曰く、「諾。」乃ち延陵王をして車騎を將いて先に晉陽に之かしめ、君因りて之に從う。至りて、城郭を行り、府庫を案じ、倉廩を視、張孟談を召して曰く、「吾が城郭の完きこと、府庫の用に足ること、倉廩の實つること、矢無きは奈何せん。」張孟談曰く、「臣聞く、董子の晉陽を治むるや、公宮の垣、皆狄蒿苫楚を以て之を廧す、其の高さ丈餘に至る、君發して之を用いよ。」是に於て發して之を試むるに、其の堅きこと則ち箘簬の勁も過ぐる能わず。君曰く、「足れり、吾が銅少きこと若何せん。」張孟談曰く、「臣聞く、董子の晉陽を治むるや、公宮の室、皆鍊銅を以て柱質と爲す、請う發して之を用いば、則ち餘銅有らん。」君曰く、「善し。」號令以て定まり、備守以て具わる。三國の兵晉陽の城に乘り、遂に戰う。三月拔く能わず、因りて軍を舒べて之を圍み、晉水を決して之に灌ぐ。晉陽を圍むこと三年、城中巢居して處り、釜を懸けて炊ぎ、財食將に盡きんとし、士卒病み羸る。襄子張孟談に謂いて曰く、「糧食匱しく、城力盡き、士大夫病めり、吾守る能わず。城を以て下らんと欲す、何如。」張孟談曰く、「臣之を聞く、亡びて存する能わず、危うくして安んずる能わずんば、則ち知士を貴ぶ爲し無きなり。君此の計を釋てて、復言うこと勿かれ。臣請う韓・魏の君に見えん。」襄子曰く、「諾。」張孟談是に於て陰かに韓・魏の君に見えて曰く、「臣聞く、脣亡ぶれば則ち齒寒しと、今知伯二國の君を帥いて趙を伐つ、趙將に亡びんとす、亡ぶれば則ち二君之に次たらん。」二君曰く、「我其の然るを知る。夫れ知伯の人と爲り、麁中にして親しむこと少なし、我が謀未だ遂げずして知られなば、則ち其の禍必ず至らん、之を奈何せん。」張孟談曰く、「謀は二君の口より出でて、臣の耳に入る、人之を知る莫きなり。」二君即ち張孟談と陰かに三軍を約し、之と期して曰く、夜、遣りて晉陽に入らしめんと。張孟談以て襄子に報ず、襄子之に再拜す。張孟談因りて知伯に朝して出で、知過に轅門の外に遇う。知過入りて知伯に見えて曰く、「二主殆ど將に變有らんとす。」君曰く、「何如。」對えて曰く、「臣張孟談に轅門の外に遇う、其の志矜り、其の行高し。」知伯曰く、「然らず。吾二主と約すること謹めり、趙を破りて其の地を三分せば、寡人之を親しむ所なり、必ず欺かざらん。子之を釋てて、口より出だすこと勿かれ。」知過出でて二主に見え、入りて知伯に說きて曰く、「二主色動きて意變ず、必ず君に背かん、之を殺さしむるに如かず。」知伯曰く、「兵晉陽に箸くこと三年なり、旦暮に當に之を拔きて其の利を饗くべし、乃ち他心有らんや。不可なり、子愼みて復言うこと勿かれ。」知過曰く、「殺さずんば則ち遂に之に親しめ。」知伯曰く、「之に親しむこと奈何せん。」知過曰く、「魏宣子の謀臣を趙葭と曰い、康子の謀臣を段䂓と曰う、是れ皆能く其の君の計を移す。君其れ二君と約し、趙を破らば二子なる者を封ずるに各々萬家の縣一を以てせよ、是の如くんば則ち二主の心變ぜざる可くして、君其の欲する所を得ん。」知伯曰く、「趙を破りて其の地を三分し、又二子なる者を封ずるに各々萬家の縣一を以てせば、則ち吾が得る所少なし、不可なり。」知過君の用いざるを見るや、言いて聽かれず、出でて其の姓を更めて輔氏と爲し、遂に去りて見えず。張孟談之を聞き、入りて襄子に見えて曰く、「臣知過に轅門の外に遇う、其の視るに臣を疑うの心有り、入りて知伯に見え、出でて其の姓を更む。今暮撃たずんば、必ず之に後れん。」襄子曰く、「諾。」張孟談をして韓・魏の君に見えしめて曰く、「夜堤を守るの吏を殺すことを期し、水を決して知伯の軍に灌がん。」知伯の軍水を救いて亂れ、韓・魏翼にして之を撃ち、襄子將卒其の前を犯し、大いに知伯の軍を敗りて知伯を禽う。知伯身死し、國亡び地分たれ、天下の笑いと爲る、此れ貪欲厭くこと無ければなり。夫れ知過に聽かざる、亦亡ぶる所以なり。知氏盡く滅び、唯輔氏のみ存す。
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『春秋左氏伝』哀公二十七年 陳成子、鄭を救ふ二十七年春、越子、后庸をして來聘せしめ、且つ邾の田を言ひ、駘上に封ぜしむ。二月、平陽に盟ふ。三子皆從ふ。康子、之を病み、言、子贛に及びて曰く、「若し此に在らば、吾、此に及ばざりしならん」と。武伯曰く、「然らば何ぞ召さざる」と。曰く、「固より將に之を召さんとす」と。文子曰く、「他日請ふ念へ」と。夏四月己亥、季康子卒す。公、焉を弔ひ、禮を降す。晉の荀瑤、師を帥ゐて鄭を伐ち、桐丘に次す。鄭の駟弘、救ひを齊に請ふ。齊師將に興らんとす。陳子、孤子を屬め、三日朝せしむ。乘車兩馬を設け、五邑を焉に繫け、顏涿聚の子晉を召して曰く、「隰の役に、而の父、焉に死す。國の多難なるを以て、未だ女を恤へざりき。今、君、女に命ずるに是の邑を以てす。服車して朝し、前勞を廢すること毋かれ」と。乃ち鄭を救ふ。留舒に及ぶ。穀を違ること七里、穀人知らず。濮に及ぶ。雨ふりて涉らず。子思曰く、「大國、敝邑の宇下に在り。是を以て急を告ぐ。今、師行かずんば、及ぶ無からんことを恐る」と。成子、製を衣て戈を杖つき、阪上に立ち、馬の出でざる者は、之を助けて之に鞭うつ。知伯之を聞き、乃ち還りて曰く、「我、鄭を伐つことを卜せしも、
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史記 趙世家四卿恐れ、遂に共に出公を攻む。出公斉に奔り、道に死す。知伯乃ち昭公の曾孫驕を立つ、是を晋の懿公と為す。知伯益々驕る。地を韓・魏に請ふ。韓・魏之に与ふ。地を趙に請ふ。趙与へず。其の鄭を囲みしときの辱めを以てなり。知伯怒り、遂に韓・魏を率ゐて趙を攻む。趙襄子懼れ、乃ち奔りて晋陽を保つ。原過従ふ。後れて、王沢に至り、三人を見る。帯より以上は見るべく、帯より以下は見るべからず。原過に竹二節を与ふ。通ずる莫し。曰く、「我が為に是を以て趙毋卹に遺れ」と。原過既に至り、以て襄子に告ぐ。襄子斉すること三日、親ら自ら竹を剖く。朱書有りて曰く、「趙毋卹、余は霍泰山山陽侯の天使なり。三月丙戌、余将に女をして反りて知氏を滅ぼさしめんとす。女も亦我が百邑を立てよ。余将に女に林胡の地を賜はんとす。後世に至りて、且に伉王有らんとす。赤黒く、龍面にして鳥噣、鬢麋髭髯、大膺大胸、修下にして馮、左袵界乗、奄ひて河宗を有ち、休溷の諸貉に至り、南のかた晋の別を伐ち、北のかた黒姑を滅ぼさん」と。襄子再拝し、三神の令を受く。三国晋陽を攻むること歳余、汾水を引きて其の城に灌ぐ。城の浸らざる者三版。城中釜を懸けて炊ぎ、子を易へて食らふ。群臣皆外心有り、礼益々慢る。唯だ高共のみ敢へて礼を失はず。襄子懼れ、乃ち夜に相の張孟同をして私かに韓・魏に於てせしむ。韓・魏与に合謀し、三月丙戌を以て、三国反りて知氏を滅ぼし、共に其の地を分つ。是に於て襄子賞を行ふ。高共を上と為す。張孟同曰く、「晋陽の難に、唯だ共のみ功無し」と。襄子曰く、「晋陽の急なるに方りて、群臣皆懈る。惟だ共のみ敢へて人臣の礼を失はず。是を以て之を先にす」と。是に於て趙は北に代を有ち、南に知氏を并せ、韓・魏より彊し。遂に三神を百邑に祠り、原過をして霍泰山の祠祀を主らしむ。其の後空同氏を娶り、五子を生む。
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『春秋左氏伝』襄公十年 知伯、机を投ず堞(ちふ)に及びて之を絕つ。隊(お)つれば則ち又之を縣く。蘇(よみがへ)りて復た上る者三たび。主人辭す。乃ち退き、其の斷を帶びて以て軍に徇ふること三日。諸侯の師、偪陽に久し。荀偃・士匄、荀罃に請ひて曰く、「水潦將に降らんとす。歸る能はざるを懼る。請ふ師を班(かへ)さん」と。知伯怒り、之に投ずるに机を以てす。其の間より出でて曰く、「女(なんぢ)二事を成して而る後に余に告ぐ。余、命を亂らんことを恐れ、以て女に違はず。女既に君を勤めしめて諸侯を興し、老夫を牽帥して、以て此に至る。既に武守無くして、又余に罪を易へんと欲し、『是れ實に師を班せり。然らずんば克てり』と曰はん。余は羸老なり、重任すべけんや。七日にして克たずんば、必ず爾(なんぢ)を取らん」と。五月庚寅、荀偃・士匄、卒を帥ゐて偪陽を攻め、親ら矢石を受く。甲午、之を滅す。書して「遂に偪陽を滅す」と曰ふは、會よりするを言ふなり。以て向戌に與ふ。向戌辭して曰く、「君若し猶ほ辱くも宋國を鎮撫し、而して偪陽を以て寡君を光啟せば、
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『春秋左氏伝』哀公二十三年 知伯、卜せずして戦ふ二十三年春、宋の景曹卒す。季康子、冉有をして弔はしめ、且つ葬を送らしめて曰く、「敝邑、社稷の事有り。肥をして有職と競はしむ。是を以て紼を助け執ることを得ず。求をして輿人に從はしむ」と。曰く、「肥の彌甥に備はることを得たるを以て、先人の產める不腆の馬有り。求をして諸を夫人の宰に薦めしむ。其れ以て旌繁に稱ふ可けんや」と。夏六月、晉の荀瑤、齊を伐つ。高無丕、師を帥ゐて之を御ぐ。知伯、齊師を視る。馬駭く。遂に之を驅りて曰く、「齊人、余が旗を知る。其れ余を畏れて反ると謂はん」と。壘に及びて還る。將に戰はんとす。長武子、卜せんと請ふ。知伯曰く、「君、天子に告げて、之を卜するに守龜を以てし宗祧に於てす。吉なり。吾又何ぞ卜せん。且つ齊人、我が英丘を取る。君、瑤に命ずるは、敢へて武を耀かすに非ざるなり。英丘を治むるなり。辭を以て罪を伐てば足れり。何ぞ必ずしも卜せん」と。壬辰、犁丘に戰ふ。齊師敗績す。知伯、親ら顏庚を禽にす。秋八月、叔青、越に如く。始めて越に使するなり。越の諸鞅來聘す。叔青に報ゆるなり。
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『春秋左氏伝』哀公二十七年 謀は始・衷・終を挙ぐ齊に敵することを卜せず」と。成子に謂はしめて曰く、「大夫陳子は、陳の自りて出づるなり。陳の祀られざるは、鄭の罪なり。故に寡君、瑤をして陳の衷を察せしむ。謂ふ、大夫其れ陳を恤へんか、と。若し本の顛るるを利とせば、瑤何か有らん」と。成子怒りて曰く、「多く人を陵ぐ者は皆在らず。知伯其れ能く久しからんや」と。中行文子、成子に告げて曰く、「晉師より寅に告ぐる者有り。將に輕車千乘を為りて、以て齊師の門に厭せんとす、と。則ち盡す可きなり」と。成子曰く、「寡君、恆に命じて曰く、『寡に及ぶこと無かれ、衆を畏るること無かれ』と。千乘に過ぐと雖も、敢へて之を辟けんや。將に子の命を以て寡君に告げんとす」と。文子曰く、「吾乃ち今、亡ぶる所以を知る。君子の謀るや、始・衷・終、皆之を舉げて、而る後に焉に入る。今、我、三つながら知らずして之に入る。亦た難からずや」と。公、三桓の侈を患へ、諸侯を以て之を去らんと欲す。三桓も亦た公の妄を患ふ。故に君臣、間多し。公、陵阪に游び、孟武伯に孟氏の衢に遇ひて曰く、「請ふ、子に問ふこと有らん。余、死に及ばんか」と。對へて曰く、「臣、由りて之を知る無し」と。三たび問ふ。卒に辭して對へず。公、越を以て魯を伐ちて三桓を去らんと欲す。秋八月甲戌、公、公孫有陘氏に如き、因りて邾に孫れ、乃ち遂に越に如く。國人、公孫有山氏に施す。
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