春秋左氏伝 / 哀公二十年 溺人必ず笑ふ
先造于越軍曰。吳犯間上國多矣。聞君親討焉。諸夏之人。莫不欣喜。唯恐君志之不從。請入視之。許之。告于吳王曰。寡君之老無恤。使陪臣隆。敢展謝其不共。黃池之役。君之先臣志父。得承齊盟。曰。好惡同之。今君在難。無恤不敢憚勞。非晉國之所能及也。使陪臣敢展布之。王拜稽首曰。寡人不佞。不能事越。以為大夫憂。拜命之辱。與之一簞珠。使問趙孟。曰。句踐將生憂寡人。寡人死之不得矣。王曰。溺人必笑。吾將有問也。史黯何以得為君子。對曰。黯也。進不見惡。退無謗言。王曰。宜哉。
新字:先造于越軍曰。呉犯間上国多矣。聞君親討焉。諸夏之人。莫不欣喜。唯恐君志之不従。請入視之。許之。告于呉王曰。寡君之老無恤。使陪臣隆。敢展謝其不共。黄池之役。君之先臣志父。得承斉盟。曰。好悪同之。今君在難。無恤不敢憚労。非晋国之所能及也。使陪臣敢展布之。王拝稽首曰。寡人不佞。不能事越。以為大夫憂。拝命之辱。与之一箪珠。使問趙孟。曰。句践将生憂寡人。寡人死之不得矣。王曰。溺人必笑。吾将有問也。史黯何以得為君子。対曰。黯也。進不見悪。退無謗言。王曰。宜哉。
書き下し
先づ越軍に造りて曰く、「吳、上國を犯間すること多し。君親ら焉を討つと聞き、諸夏の人、欣喜せざる莫し。唯だ君の志の從はざらんことを恐る。請ふ、入りて之を視ん」と。之を許す。吳王に告げて曰く、「寡君の老無恤、陪臣隆をして、敢へて其の共せざるを展謝せしむ。黃池の役に、君の先臣志父、齊盟を承くることを得たり。曰く、『好惡之を同じくせん』と。今君、難に在り。無恤、敢へて勞を憚らざれども、晉國の能く及ぶ所に非ざるなり。陪臣をして敢へて之を展布せしむ」と。王、拜稽首して曰く、「寡人不佞にして、越に事ふる能はず、以て大夫の憂と為る。命の辱きを拜す」と。之に一簞の珠を與へ、趙孟に問はしめて曰く、「句踐、將に寡人を生きながら憂へしめんとす。寡人、之に死すること得ず」と。王曰く、「溺るる人は必ず笑ふ。吾將に問ふこと有らんとす。史黯は何を以て君子為ることを得たる」と。對へて曰く、「黯や、進みては惡まれず、退きては謗言無し」と。王曰く、「宜なるかな」と。
現代語訳
楚隆はまず越の陣営に行って言った。「呉は中原の国々をたびたび侵し乱してきました。君(越王句践)が自ら討伐なさると聞いて、中原の人々で喜ばない者はおりません。ただ君の志が遂げられないことだけを恐れております。どうか城内に入って様子を見させてください」。越王はこれを許した。楚隆は呉王(夫差)に告げて言った。「わが君の老臣である無恤(趙孟)が、陪臣の隆を遣わして、礼を尽くせぬことを謹んでお詫び申し上げます。黄池の会のとき、君の先臣たる志父(趙鞅)は、君の主宰する盟約にあずかり、『好むものも憎むものも共にしよう』と誓いました。いま君は難に遭っておられます。無恤は労苦を惜しむものではありませんが、晋国の力の及ぶところではありません。そこで陪臣に命じて、この気持ちを謹んで申し述べさせたのです」。王は拝礼して額を地につけ、言った。「私が不才で越にうまく仕えることができず、大夫にご心配をおかけした。ご丁重な言葉をかたじけなく拝受する」。王は楚隆に竹かご一杯の真珠を与え、趙孟にこう伝えさせた。「句践は私を生かしたまま苦しめようとしている。私は死ぬこともできない」。王はさらに言った。「溺れる人は必ず笑うものだ(窮まった者は笑うしかない)。一つ聞きたいことがある。史黯(晋の史官)はどうして君子と呼ばれるようになったのか」。楚隆は答えた。「黯は、進んで仕えては人に憎まれず、退いては悪口を言われませんでした」。王は「もっともなことだ」と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』定公十年 夾谷の会十年春、齊と平ぐ。夏、公、齊侯に祝其に會す。實は夾谷なり。孔丘、相たり。犁彌、齊侯に言ひて曰く、「孔丘は禮を知れども勇無し。若し萊人をして兵を以て魯侯を劫かさしめば、必ず志を得ん」と。齊侯、之に從ふ。孔丘、公を以て退きて曰く、「士、之に兵せよ。兩君好を合はするに、裔夷の俘、兵を以て之を亂す。齊君の諸侯に命ずる所以に非ざるなり。裔は夏を謀らず、夷は華を亂さず、俘は盟を干さず、兵は好に偪らず。神に於いては不祥と為し、德に於いては義を愆つと為し、人に於いては禮を失ふと為す。君必ず然らざらん」と。齊侯、之を聞き、遽かに之を辟く。將に盟はんとす。齊人、載書に加へて曰く、「齊の師、竟を出づるに、甲車三百乘を以て我に從はざる者は、此の盟の如き有らん」と。孔丘、茲無還をして揖して對へしめて曰く、「而、我が汶陽の田を反さずして、吾をして以て命に共せしむる者も、亦た之の如くならん」と。齊侯、將に公を享せんとす。孔丘、梁丘據に謂ひて曰く、
-
『春秋左氏伝』文公十二年 国に陋なし春、郕伯卒す。郕人君を立つ。大子夫鍾と郕邽とを以って來奔す。公諸侯を以って之を逆ふ、禮に非ざるなり。故に書して曰く、「郕伯來奔す」と。地を書せざるは、諸侯を尊ぶなり。杞の桓公來朝す、始めて公に朝するなり。且つ叔姬を絕たんことを請ひて、昏を絕つこと無からんとす、公之を許す。二月、叔姬卒す。杞と言はざるは、絕てばなり。叔姬と書するは、女に非ざるを言ふなり。楚の令尹大孫伯卒し、成嘉令尹と為る。群舒楚に叛く。夏、子孔舒子平、及び宗子を執へ、遂に巢を圍む。秋、滕の昭公來朝す、亦た始めて公に朝するなり。秦伯西乞術をして來聘せしめ、且つ將に晉を伐たんとするを言ふ。襄仲玉を辭して曰く、「君先君の好を忘れず、魯國を照臨し、其の社稷を鎮撫し、之に重ぬるに大器を以ってす。寡君敢へて玉を辭す」と。對へて曰く、「不腆(ふてん)の敝器、辭するに足らざるなり」と。主人三たび辭す。賓答へて曰く、「寡君周公・魯公に福を徼(もと)めて、以って君に事へんことを願ふ。不腆なる先君の敝器、下臣をして諸を執事に致さしめ、以って瑞節と為し、好命を要結す。寡君の命を藉(し)きて、二國の好を結ぶ所以なり。是を以って敢へて之を致す」と。襄仲曰く、「君子有らずんば、其れ能く國せんや。國陋なること無し」と。厚く之に賄す。秦令狐の役の為の故に、
-
『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
-
『春秋左氏伝』昭公三十年 大に事え小を字しむ三十年春、王の正月、公乾侯に在り。先に鄆と乾侯とを書かざるは、公を非とし、且つ過ちを徵(あきら)かにするなり。夏、六月、晉の頃公卒す。秋、八月、晉の頃公を葬る。鄭の游吉弔し、且つ葬を送る。魏獻子、士景伯をして之を詰らしめて曰く、「悼公の喪には、子西弔し、子蟜葬を送る。今吾子貳無し、何の故ぞ」と。對へて曰く、「諸侯の晉君に歸する所以は、禮なり。禮なる者は、小大に事へ、大小を字(いつく)しむの謂なり。大に事ふるは其の時命を共するに在り、小を字しむは其の無き所を恤むに在り。敝邑の大國の間に居るを以って、其の職貢と、其の不虞の患ひに備御するとを共す。豈に命を共することを忘れんや。先王の制に、諸侯の喪には、士弔し、大夫葬を送る。唯だ嘉好・聘享・三軍の事にのみ、是に於いてか卿を使はす。晉の喪事に、敝邑の間あるときは、
-
『春秋左氏伝』襄公二十八年 先事後賄の礼二十八年春、冰無し。梓慎曰く、「今茲(ことし)、宋・鄭其れ饑ゑんか。歲、星紀に在りて、玄枵に淫す。以て時の菑(わざはひ)有り、陰、陽に堪へず。蛇、龍に乘る。龍は宋・鄭の星なり。宋・鄭必ず饑ゑん。玄枵は虛の中なり。枵は秏(へ)るの名なり。土虛しくして民秏る、饑ゑずして何をか為さん」と。夏、齊侯・陳侯・蔡侯・北燕伯・杞伯・胡子・沈子・白狄、晉に朝す。宋の盟の故なり。齊侯將に行かんとす。慶封曰く、「我は盟に與らず、何為れぞ晉に於いてせん」と。陳文子曰く、「事を先にし賄を後にするは、禮なり。小、大に事へ、未だ事ふるを獲ずして、之に從ふこと志の如くするは、禮なり。盟に與らずと雖も、敢へて晉に叛かんや。重丘の盟、未だ忘るべからざるなり。子其れ行くを勸めよ」と。衛人、甯氏の黨を討つ。故に石惡、晉に出奔す。衛人、其の從子圃を立て、以て石氏の祀を守らしむ。禮なり。邾の悼公來朝す。時の事なり。
-
『春秋左氏伝』桓公十八年 魯の桓公、斉に死す十八年春、公將に行くこと有らんとし、遂に姜氏と齊に如かんとす。申繻曰く、「女に家有り、男に室有り、相瀆すこと無し、之を禮有りと謂ふ。此を易へば、必ず敗れん」と。公齊侯に濼に會し、遂に文姜と齊に如く。齊侯焉に通ず。公之を謫む。以て告ぐ。夏四月丙子、公を享す。公子彭生をして公を乘せしむ。公車に薨ず。魯人齊に告げて曰く、「寡君君の威を畏れ、敢へて甯居せず、來りて舊好を修む。禮成りて反らず、咎を歸する所無く、諸侯に惡し。請ふ彭生を以て之を除かん」と。齊人彭生を殺す。秋、齊侯首止に師す。子亹之に會し、高渠彌相たり。七月戊戌、齊人子亹を殺して高渠彌を轘す。祭仲鄭子を陳に逆へて之を立つ。是の行や、祭仲之を知る。故に疾と稱して往かず。人曰く、「祭仲知を以て免る」と。仲曰く、「信なり」と。周公莊王を弑して王子克を立てんと欲す。辛伯王に告げ、遂に王と周公黑肩を殺す。王子克燕に奔る。初め、子儀桓王に寵有り。桓王諸を周公に屬す。辛伯諫めて曰く、「后に並び、嫡に匹し、政を兩にし、國を耦にするは、亂の本なり」と。周公從はず。故に及ぶ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る