春秋左氏伝 / 昭公元年 包蔵禍心
元年春。楚公子圍聘于鄭。且娶於公孫段氏。伍舉為介。將入館。鄭人惡之。使行人子羽與之言。乃館於外。既聘。將以眾逆。子產患之。使子羽辭曰。以敝邑褊小。不足以容從者。請墠聽命。令尹命大宰伯州犁對曰。君辱貺寡大夫圍。謂圍將使豐氏。撫有而室。圍布几筵。告於莊共之廟而來。若野賜之。是委君貺於草莽也。是寡大夫不得列於諸卿也。不寧唯是。又使圍蒙其先君。將不得為寡君老,其蔑以復矣。唯大夫圖之。子羽曰。小國無罪。恃實其罪。將恃大國之安靖己。而無乃包藏禍心以圖之。
新字:元年春。楚公子囲聘于鄭。且娶於公孫段氏。伍舉為介。将入館。鄭人悪之。使行人子羽与之言。乃館於外。既聘。将以衆逆。子産患之。使子羽辞曰。以敝邑褊小。不足以容従者。請墠聴命。令尹命大宰伯州犁対曰。君辱貺寡大夫囲。謂囲将使豊氏。撫有而室。囲布几筵。告於荘共之廟而来。若野賜之。是委君貺於草莽也。是寡大夫不得列於諸卿也。不寧唯是。又使囲蒙其先君。将不得為寡君老,其蔑以復矣。唯大夫図之。子羽曰。小国無罪。恃実其罪。将恃大国之安靖己。而無乃包蔵禍心以図之。
書き下し
元年春、楚の公子圍鄭に聘し、且つ公孫段氏に娶る。伍舉介為り。將に館に入らんとす。鄭人之を惡み、行人子羽をして之と言はしむ。乃ち外に館す。既に聘し、將に眾を以て逆へんとす。子產之を患ひ、子羽をして辭せしめて曰く、「敝邑の褊小にして、以て從者を容るるに足らざるを以て、請ふ墠して命を聽かん」と。令尹大宰伯州犁に命じて對へしめて曰く、「君辱くも寡大夫圍に貺ひ、圍に謂ふ、『將に豐氏をして而の室を撫有せしめん』と。圍几筵を布き、莊・共の廟に告げて來る。若し野に之を賜はば、是れ君の貺を草莽に委ぬるなり。是れ寡大夫諸卿に列するを得ざるなり。寧ろ唯だ是のみならず、又圍をして其の先君を蒙かしむ。將に寡君の老為るを得ずして、其れ以て復すること蔑からん。唯だ大夫之を圖れ」と。子羽曰く、「小國は罪無し。恃むは實に其の罪なり。將に大國の己を安靖するを恃まんとするに、而るに乃ち禍心を包藏して以て之を圖ること無からんや。
現代語訳
昭公元年春、楚の公子囲(令尹)が鄭に聘問し、あわせて公孫段(伯石)の家から妻を娶ることになった。伍挙が副使であった。一行が城内の宿舎に入ろうとすると、鄭の人々はこれを警戒し、行人の子羽(公孫揮)を遣わして話をつけさせた。そこで一行は城外に宿泊した。聘問の儀が終わると、公子囲は大勢の兵を連れて花嫁を迎えに城内へ入ろうとした。子産はこれを憂え、子羽に断らせて言った。「わが国は狭く小さく、お供の方々をお入れするには足りません。どうか城外に祭壇を設けて、そこでご指示をお受けしたいと存じます」。令尹(公子囲)は大宰の伯州犁に命じて答えさせた。「貴国の君はかたじけなくも、わが国の大夫である囲に恵みを賜り、『豊氏の娘をおまえの妻として与えよう』とおっしゃいました。囲は祭壇に筵と机を並べ、荘王・共王の廟に報告してから参ったのです。もし野外で花嫁を賜るのであれば、それは貴国の君の賜り物を草むらに捨てるようなものです。そうなれば、わが大夫は諸卿の列に加わることもできません。それだけではありません。囲に先君を欺かせることにもなり、わが君の重臣として務めることもできず、帰って復命するすべもなくなります。どうか大夫よ、よくお考えください」。子羽は言った。「小国に罪はありません。大国を頼りにすることこそが、まことにその罪なのです。大国がわが国を安定させてくれると頼りにしているのに、まさか禍の心を包み隠して、わが国を狙おうとしているのではありますまいか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』定公十年 夾谷の会十年春、齊と平ぐ。夏、公、齊侯に祝其に會す。實は夾谷なり。孔丘、相たり。犁彌、齊侯に言ひて曰く、「孔丘は禮を知れども勇無し。若し萊人をして兵を以て魯侯を劫かさしめば、必ず志を得ん」と。齊侯、之に從ふ。孔丘、公を以て退きて曰く、「士、之に兵せよ。兩君好を合はするに、裔夷の俘、兵を以て之を亂す。齊君の諸侯に命ずる所以に非ざるなり。裔は夏を謀らず、夷は華を亂さず、俘は盟を干さず、兵は好に偪らず。神に於いては不祥と為し、德に於いては義を愆つと為し、人に於いては禮を失ふと為す。君必ず然らざらん」と。齊侯、之を聞き、遽かに之を辟く。將に盟はんとす。齊人、載書に加へて曰く、「齊の師、竟を出づるに、甲車三百乘を以て我に從はざる者は、此の盟の如き有らん」と。孔丘、茲無還をして揖して對へしめて曰く、「而、我が汶陽の田を反さずして、吾をして以て命に共せしむる者も、亦た之の如くならん」と。齊侯、將に公を享せんとす。孔丘、梁丘據に謂ひて曰く、
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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『春秋左氏伝』文公十二年 国に陋なし春、郕伯卒す。郕人君を立つ。大子夫鍾と郕邽とを以って來奔す。公諸侯を以って之を逆ふ、禮に非ざるなり。故に書して曰く、「郕伯來奔す」と。地を書せざるは、諸侯を尊ぶなり。杞の桓公來朝す、始めて公に朝するなり。且つ叔姬を絕たんことを請ひて、昏を絕つこと無からんとす、公之を許す。二月、叔姬卒す。杞と言はざるは、絕てばなり。叔姬と書するは、女に非ざるを言ふなり。楚の令尹大孫伯卒し、成嘉令尹と為る。群舒楚に叛く。夏、子孔舒子平、及び宗子を執へ、遂に巢を圍む。秋、滕の昭公來朝す、亦た始めて公に朝するなり。秦伯西乞術をして來聘せしめ、且つ將に晉を伐たんとするを言ふ。襄仲玉を辭して曰く、「君先君の好を忘れず、魯國を照臨し、其の社稷を鎮撫し、之に重ぬるに大器を以ってす。寡君敢へて玉を辭す」と。對へて曰く、「不腆(ふてん)の敝器、辭するに足らざるなり」と。主人三たび辭す。賓答へて曰く、「寡君周公・魯公に福を徼(もと)めて、以って君に事へんことを願ふ。不腆なる先君の敝器、下臣をして諸を執事に致さしめ、以って瑞節と為し、好命を要結す。寡君の命を藉(し)きて、二國の好を結ぶ所以なり。是を以って敢へて之を致す」と。襄仲曰く、「君子有らずんば、其れ能く國せんや。國陋なること無し」と。厚く之に賄す。秦令狐の役の為の故に、
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『春秋左氏伝』昭公二十三年 叔孫婼、坐せず二十三年春、王の正月、壬寅、朔、二師郊を圍む。癸卯、郊・鄩潰ゆ。丁未、晉の師平陰に在り、王師澤邑に在り。王間を告げしむ。庚戌、還る。邾人翼に城く。還るに、將に離姑よりせんとす。公孫鉏曰く、「魯將に我を御せんとす」と。武城より還り、山に循ひて南せんと欲す。徐鉏・丘弱・茅地曰く、「道下れり。雨に遇はば、將に出でざらんとす。是れ歸らざるなり」と。遂に離姑よりす。武城の人其の前を塞ぎ、其の後の木を斷ちて殊(た)たず。邾の師之を過ぐ。乃ち推して之を蹙(せま)り、遂に邾の師を取り、鉏・弱・地を獲たり。邾人晉に愬ふ。晉人來りて討ず。叔孫婼晉に如く。晉人之を執ふ。書して曰く、「晉人我が行人叔孫婼を執ふ」と。使人を言ふなり。晉人邾の大夫と坐せしむ。叔孫曰く、「列國の卿は、小國の君に當る。固より周の制なり。邾は又夷なり。寡君の命ぜし介子服回在り。請ふ之に當らしめん。敢へて周の制を廢せざるが故なり」と。乃ち果たして坐せず。韓宣子邾人をして其の衆を取らしめ、將に叔孫を以って之に與へんとす。叔孫之を聞き、衆と兵とを去りて朝す。
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『春秋左氏伝』文公三年 菁菁たる莪を賦す晉人其の公に無禮なりしを懼れ、盟を改めんことを請ふ。公晉に如き、晉侯に及びて盟ふ。晉侯公を饗し、《菁菁者莪》を賦す。莊叔公を以って降りて拜し、曰く、「小國命を大國に受く。敢へて儀を慎まざらんや。君之に貺(たま)ふに大禮を以ってす。何の樂しみか之に如かん。抑も小國の樂しみは、大國の惠なり」と。晉侯降りて辭す。登りて拜を成す。公《嘉樂》を賦す。
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『春秋左氏伝』襄公八年 彤弓を賦す晉の范宣子來聘し、且つ公の辱を拜し、將に師を鄭に用ゐんとするを告ぐ。公之を享す。宣子、摽有梅を賦す。季武子曰く、「誰か敢へてせんや。今、草木に譬ふれば、寡君の君に在るは、君の臭味なり。歡んで以て命を承けん、何の時か之れ有らん」と。武子、角弓を賦す。賓將に出でんとす。武子、彤弓を賦す。宣子曰く、「城濮の役に、我が先君文公、功を衡雍に獻じ、彤弓を襄王に受けて、以て子孫の藏と為す。匄や、先君の守官の嗣なり。敢へて命を承けざらんや」と。君子以て禮を知ると為す。
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