春秋左氏伝 / 襄公二十七年 弭兵の会、宋に集う
五月甲辰。晉趙武至於宋。丙午。鄭良霄至。六月丁未朔。宋人享趙文子。叔向為介。司馬置折俎。禮也。仲尼使舉是禮也。以為多文辭。戊申。叔孫豹。齊慶封。陳須無。衛石惡。至。甲寅。晉荀盈從趙武至。丙辰。邾悼公至壬戌。楚公子黑肱先至。成言於晉。丁卯。宋向戌如陳。從子木成言于楚。戊辰。滕成公至。子木謂向戌。請晉楚之從。交相見也。庚午。向戌復于趙孟。趙孟曰。晉。楚。齊。秦。匹也。晉之不能于齊。猶楚之不能于秦也。楚君若能使秦君辱于敝邑。寡君敢不固請于齊。壬申。左師復言于子木。子木使驛謁諸王。王曰。釋齊秦。他國請相見也。
新字:五月甲辰。晋趙武至於宋。丙午。鄭良霄至。六月丁未朔。宋人享趙文子。叔向為介。司馬置折俎。礼也。仲尼使舉是礼也。以為多文辞。戊申。叔孫豹。斉慶封。陳須無。衛石悪。至。甲寅。晋荀盈従趙武至。丙辰。邾悼公至壬戌。楚公子黒肱先至。成言於晋。丁卯。宋向戌如陳。従子木成言于楚。戊辰。滕成公至。子木謂向戌。請晋楚之従。交相見也。庚午。向戌復于趙孟。趙孟曰。晋。楚。斉。秦。匹也。晋之不能于斉。猶楚之不能于秦也。楚君若能使秦君辱于敝邑。寡君敢不固請于斉。壬申。左師復言于子木。子木使駅謁諸王。王曰。釈斉秦。他国請相見也。
書き下し
五月甲辰、晉の趙武宋に至る。丙午、鄭の良霄至る。六月丁未朔、宋人趙文子を享す。叔向介為り。司馬折俎を置く。禮なり。仲尼是の禮を舉げしむ。以て文辭多しと為す。戊申、叔孫豹・齊の慶封・陳須無・衛の石惡至る。甲寅、晉の荀盈趙武に從ひて至る。丙辰、邾の悼公至る。壬戌、楚の公子黑肱先づ至り、言を晉に成す。丁卯、宋の向戌陳に如き、子木に從ひて言を楚に成す。戊辰、滕の成公至る。子木向戌に謂ふ、「請ふ晉・楚の從、交〻相見えん」と。庚午、向戌趙孟に復す。趙孟曰く、「晉・楚・齊・秦は匹なり。晉の齊に能はざるは、猶ほ楚の秦に能はざるがごときなり。楚君若し能く秦君をして敝邑に辱くせしめば、寡君敢へて固く齊に請はざらんや」と。壬申、左師復た子木に言ふ。子木驛をして諸を王に謁せしむ。王曰く、「齊・秦を釋け。他國は相見えんことを請ふ」と。
現代語訳
五月甲辰の日、晋の趙武が宋に到着した。丙午の日、鄭の良霄が到着した。六月丁未の朔日、宋の人々は趙文子(趙武)を饗応した。叔向が介添え役を務めた。宋の司馬が、切り分けた肉を載せた俎を置いた。これは礼にかなっている。仲尼(孔子)はのちにこの礼の次第を記録させた。応答の言葉に見事なものが多かったからである。戊申の日、魯の叔孫豹、斉の慶封、陳の須無、衛の石悪が到着した。甲寅の日、晋の荀盈が趙武のあとを追って到着した。丙辰の日、邾の悼公が到着した。壬戌の日、楚の公子黒肱が先に到着し、晋と盟約の文言を取り決めた。丁卯の日、宋の向戌が陳に行き、子木(楚の令尹)のもとで楚との文言を取り決めた。戊辰の日、滕の成公が到着した。子木は向戌に言った。「晋に従う国と楚に従う国とが、互いに相手の盟主のもとへ朝見するようにしたい」。庚午の日、向戌はこれを趙孟(趙武)に報告した。趙孟は言った。「晋・楚・斉・秦は対等の国である。晋が斉を思いどおりにできないのは、楚が秦を思いどおりにできないのと同じだ。楚君がもし秦君をわが国に来させることができるなら、わが君もどうして斉に強く頼まずにいられようか」。壬申の日、左師(向戌)はこれを子木に伝えた。子木は駅伝の使者を走らせて楚王に申し上げた。王は言った。「斉と秦は除いておけ。そのほかの国々は互いに朝見するよう求める」。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』定公十年 夾谷の会十年春、齊と平ぐ。夏、公、齊侯に祝其に會す。實は夾谷なり。孔丘、相たり。犁彌、齊侯に言ひて曰く、「孔丘は禮を知れども勇無し。若し萊人をして兵を以て魯侯を劫かさしめば、必ず志を得ん」と。齊侯、之に從ふ。孔丘、公を以て退きて曰く、「士、之に兵せよ。兩君好を合はするに、裔夷の俘、兵を以て之を亂す。齊君の諸侯に命ずる所以に非ざるなり。裔は夏を謀らず、夷は華を亂さず、俘は盟を干さず、兵は好に偪らず。神に於いては不祥と為し、德に於いては義を愆つと為し、人に於いては禮を失ふと為す。君必ず然らざらん」と。齊侯、之を聞き、遽かに之を辟く。將に盟はんとす。齊人、載書に加へて曰く、「齊の師、竟を出づるに、甲車三百乘を以て我に從はざる者は、此の盟の如き有らん」と。孔丘、茲無還をして揖して對へしめて曰く、「而、我が汶陽の田を反さずして、吾をして以て命に共せしむる者も、亦た之の如くならん」と。齊侯、將に公を享せんとす。孔丘、梁丘據に謂ひて曰く、
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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『春秋左氏伝』文公十二年 国に陋なし春、郕伯卒す。郕人君を立つ。大子夫鍾と郕邽とを以って來奔す。公諸侯を以って之を逆ふ、禮に非ざるなり。故に書して曰く、「郕伯來奔す」と。地を書せざるは、諸侯を尊ぶなり。杞の桓公來朝す、始めて公に朝するなり。且つ叔姬を絕たんことを請ひて、昏を絕つこと無からんとす、公之を許す。二月、叔姬卒す。杞と言はざるは、絕てばなり。叔姬と書するは、女に非ざるを言ふなり。楚の令尹大孫伯卒し、成嘉令尹と為る。群舒楚に叛く。夏、子孔舒子平、及び宗子を執へ、遂に巢を圍む。秋、滕の昭公來朝す、亦た始めて公に朝するなり。秦伯西乞術をして來聘せしめ、且つ將に晉を伐たんとするを言ふ。襄仲玉を辭して曰く、「君先君の好を忘れず、魯國を照臨し、其の社稷を鎮撫し、之に重ぬるに大器を以ってす。寡君敢へて玉を辭す」と。對へて曰く、「不腆(ふてん)の敝器、辭するに足らざるなり」と。主人三たび辭す。賓答へて曰く、「寡君周公・魯公に福を徼(もと)めて、以って君に事へんことを願ふ。不腆なる先君の敝器、下臣をして諸を執事に致さしめ、以って瑞節と為し、好命を要結す。寡君の命を藉(し)きて、二國の好を結ぶ所以なり。是を以って敢へて之を致す」と。襄仲曰く、「君子有らずんば、其れ能く國せんや。國陋なること無し」と。厚く之に賄す。秦令狐の役の為の故に、
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『春秋左氏伝』昭公二十三年 叔孫婼、坐せず二十三年春、王の正月、壬寅、朔、二師郊を圍む。癸卯、郊・鄩潰ゆ。丁未、晉の師平陰に在り、王師澤邑に在り。王間を告げしむ。庚戌、還る。邾人翼に城く。還るに、將に離姑よりせんとす。公孫鉏曰く、「魯將に我を御せんとす」と。武城より還り、山に循ひて南せんと欲す。徐鉏・丘弱・茅地曰く、「道下れり。雨に遇はば、將に出でざらんとす。是れ歸らざるなり」と。遂に離姑よりす。武城の人其の前を塞ぎ、其の後の木を斷ちて殊(た)たず。邾の師之を過ぐ。乃ち推して之を蹙(せま)り、遂に邾の師を取り、鉏・弱・地を獲たり。邾人晉に愬ふ。晉人來りて討ず。叔孫婼晉に如く。晉人之を執ふ。書して曰く、「晉人我が行人叔孫婼を執ふ」と。使人を言ふなり。晉人邾の大夫と坐せしむ。叔孫曰く、「列國の卿は、小國の君に當る。固より周の制なり。邾は又夷なり。寡君の命ぜし介子服回在り。請ふ之に當らしめん。敢へて周の制を廢せざるが故なり」と。乃ち果たして坐せず。韓宣子邾人をして其の衆を取らしめ、將に叔孫を以って之に與へんとす。叔孫之を聞き、衆と兵とを去りて朝す。
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