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春秋左氏伝 / 成公十八年 人を得んと欲すれば先ず勤めよ

冬。十一月。楚子重救彭城伐宋。宋華元如晉告急。韓獻子為政。曰。欲求得人。必先勤之。成霸安彊。自宋始矣。晉侯師于台谷以救宋。遇楚師于靡角之谷。楚師還。晉士魴來乞師。季文子問師數於臧武仲。對曰。伐鄭之役。知伯實來。下軍之佐也。今彘季亦佐下軍。如伐鄭可也。事大國無失班爵。而加敬焉禮也。從之。十二月。孟獻子會于虛朾。謀救宋也。宋人辭諸侯。而請師以圍彭城。孟獻子請于諸侯而先歸會葬。丁未。葬我君成公。書順也。

新字:冬。十一月。楚子重救彭城伐宋。宋華元如晋告急。韓献子為政。曰。欲求得人。必先勤之。成覇安彊。自宋始矣。晋侯師于台谷以救宋。遇楚師于靡角之谷。楚師還。晋士魴来乞師。季文子問師数於臧武仲。対曰。伐鄭之役。知伯実来。下軍之佐也。今彘季亦佐下軍。如伐鄭可也。事大国無失班爵。而加敬焉礼也。従之。十二月。孟献子会于虚朾。謀救宋也。宋人辞諸侯。而請師以囲彭城。孟献子請于諸侯而先帰会葬。丁未。葬我君成公。書順也。

書き下し

冬、十一月、楚の子重、彭城を救ひて宋を伐つ。宋の華元、晉に如きて急を告ぐ。韓獻子政を爲す。曰く、「人を得んことを求めんと欲せば、必ず先づ之に勤めよ。霸を成し彊を安んずるは、宋より始まらん」と。晉侯、台谷に師して以て宋を救ふ。楚師に靡角の谷に遇ふ。楚師還る。晉の士魴、來りて師を乞ふ。季文子、師の數を臧武仲に問ふ。對へて曰く、「鄭を伐つの役に、知伯實に來る。下軍の佐なり。今、彘季も亦た下軍に佐たり。鄭を伐つが如くして可なり。大國に事ふるには、班爵を失ふこと無くして、敬を加ふるは禮なり」と。之に從ふ。十二月、孟獻子、虛朾(きょてい)に會す。宋を救はんことを謀るなり。宋人、諸侯を辭して、師を請ひて以て彭城を圍む。孟獻子、諸侯に請ひて先づ歸りて葬に會す。丁未、我が君成公を葬る。順なるを書すなり。

現代語訳

冬十一月、楚の子重(しちょう、令尹の公子嬰斉)は彭城を救援するために宋を攻めた。宋の華元(かげん)は晋に行き、危急を告げた。晋では韓献子(かんけんし、韓厥)が執政であった。韓献子は言った。「人の心を得たいと思うなら、まず相手のために骨を折らねばならない。覇業を成し遂げて国の強さを安定させるのは、宋を救うことから始まるだろう」。晋侯(悼公)は台谷に軍を出して宋を救った。楚軍と靡角(びかく)の谷で出会うと、楚軍は引き返した。晋の士魴(しほう、彘季)が魯に来て出兵を求めた。季文子(きぶんし、魯の執政)は、どれほどの兵を出すべきかを臧武仲(ぞうぶちゅう)に尋ねた。臧武仲は答えた。「鄭を討った戦役のときは、知伯(荀罃)が求めに来ました。下軍の副将でした。今回の彘季もまた下軍の副将です。鄭を討ったときと同じ数でよいでしょう。大国に仕えるには、相手の使者の序列と爵位を取り違えることなく、そのうえに敬意を加えるのが礼です」。季文子はこれに従った。十二月、孟献子(もうけんし、仲孫蔑)が虚朾で諸侯と会した。宋を救う相談のためである。宋は諸侯の軍の直接の救援は辞退し、彭城を包囲するための兵を求めた。孟献子は諸侯に願い出て、先に帰国して成公の葬儀に参列した。丁未の日、我が君成公を葬った。『春秋』がこれを書いたのは、葬儀が順当に行われたからである。

解説

楚の子重が宋に攻め入り、宋の華元が晋に助けを求める。晋の執政韓厥の言葉が要である。「人を得んと欲せば、必ず先づ之に勤めよ」、人を味方につけたいなら、まずその人のために汗をかけ、と。覇者とは諸侯を従わせる者だが、従わせる根拠は、困ったときに駆けつけてくれるという実績にある。即位したばかりの悼公の晋にとって、宋の救援はその信頼を示す最初の機会であり、韓厥はそれを「霸を成し彊を安んずるは、宋より始まらん」と見定めた。実際、晋軍が出ると楚軍は戦わずに退いた。後半の魯の臧武仲の答えも実務的で、晋の出兵要請に何人出すかを、使者の位が前回と同じだから前回と同じでよい、と前例に照らして決め、そこに敬意を加えるのが礼だと言う。大国への対応を感情でなく基準で決めている。信頼は言葉より先に行動で積み上がるという、当たり前だが実行の難しい構造がここにある。

この章句が説くこと

信頼覇業救援前例礼外交

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