春秋左氏伝 / 成公十二年 無礼は必ず食言す
秋。晉人敗狄于交剛。晉郤至如楚聘。且蒞盟。楚子享之。子反相。為地室而縣焉。郤至將登。金奏作於下。驚而走出。子反曰。日云莫矣。寡君須矣。吾子其入也。賓曰。君不忘先君之好。施及下臣。貺之以大禮。重之以備樂。如天之福。兩君相見。何以代此。下臣不敢。子反曰。如天之福。兩君相見。無亦唯是一矢以相加遺。焉用樂。寡君須矣。吾子其入也。賓曰。若讓之以一矢。禍之大者。其何福之為。世之治也。諸侯間於天子之事。則相朝也。於是乎有享宴之禮。享以訓共儉。宴以示慈惠。共儉以行禮。而慈惠以布政。政以禮成。民是以息。百官承事。朝而不夕。此公侯之所以扞城其民也。故詩曰。赳赳武夫。公侯干城。及其亂也。諸侯貪冒。侵欲不忌。爭尋常以盡其民。略其武夫。以為己腹心股肱爪牙。故詩曰。赳赳武夫。公侯腹心。天下有道。則公侯能為民干城。而制其腹心。亂則反之。今吾子之言。亂之道也。不可以為法。然吾子主也。至敢不從。遂入卒事。歸以語范文子。文子曰。無禮必食言。吾死無日矣夫。冬。楚公子罷如晉聘。且蒞盟。十二月。晉侯及楚公子罷盟于赤棘。
新字:秋。晋人敗狄于交剛。晋郤至如楚聘。且莅盟。楚子享之。子反相。為地室而県焉。郤至将登。金奏作於下。驚而走出。子反曰。日云莫矣。寡君須矣。吾子其入也。賓曰。君不忘先君之好。施及下臣。貺之以大礼。重之以備楽。如天之福。両君相見。何以代此。下臣不敢。子反曰。如天之福。両君相見。無亦唯是一矢以相加遺。焉用楽。寡君須矣。吾子其入也。賓曰。若譲之以一矢。禍之大者。其何福之為。世之治也。諸侯間於天子之事。則相朝也。於是乎有享宴之礼。享以訓共倹。宴以示慈恵。共倹以行礼。而慈恵以布政。政以礼成。民是以息。百官承事。朝而不夕。此公侯之所以扞城其民也。故詩曰。赳赳武夫。公侯干城。及其乱也。諸侯貪冒。侵欲不忌。争尋常以尽其民。略其武夫。以為己腹心股肱爪牙。故詩曰。赳赳武夫。公侯腹心。天下有道。則公侯能為民干城。而制其腹心。乱則反之。今吾子之言。乱之道也。不可以為法。然吾子主也。至敢不従。遂入卒事。帰以語范文子。文子曰。無礼必食言。吾死無日矣夫。冬。楚公子罷如晋聘。且莅盟。十二月。晋侯及楚公子罷盟于赤棘。
書き下し
秋、晉人狄を交剛に敗る。晉の郤至楚に如きて聘し、且つ盟に蒞む。楚子之を享す。子反相たり。地室を為りて縣く。郤至將に登らんとするに、金奏下に作る。驚きて走り出づ。子反曰く、「日云に莫れたり。寡君須てり。吾子其れ入れ」と。賓曰く、「君先君の好を忘れず、施きて下臣に及ぼし、之に貺ふに大禮を以ってし、之を重ぬるに備樂を以ってす。如し天の福ありて、兩君相見えば、何を以って此に代へん。下臣敢へてせず」と。子反曰く、「如し天の福ありて、兩君相見えば、亦た唯だ是の一矢を以って相加遺する無からんや。焉んぞ樂を用ゐん。寡君須てり。吾子其れ入れ」と。賓曰く、「若し之を讓るに一矢を以ってせば、禍の大なる者なり。其れ何の福か之れ為さん。世の治まるや、諸侯天子の事に間あれば、則ち相朝す。是に於いてか享宴の禮有り。享は以って共儉を訓へ、宴は以って慈惠を示す。共儉以って禮を行ひ、而して慈惠以って政を布く。政は禮を以って成り、民是を以って息ふ。百官事を承け、朝して夕せず。此れ公侯の其の民を扞城する所以なり。故に詩に曰く、『赳赳たる武夫は、公侯の干城なり』と。其の亂るるに及ぶや、諸侯貪冒し、侵欲して忌まず、尋常を爭ひて以って其の民を盡くし、其の武夫を略して、以って己の腹心股肱爪牙と為す。故に詩に曰く、『赳赳たる武夫は、公侯の腹心なり』と。天下道有れば、則ち公侯能く民の為に干城となりて、其の腹心を制す。亂るれば則ち之に反す。今吾子の言は、亂の道なり。以って法と為す可からず。然れども吾子は主なり。至敢へて從はざらんや」と。遂に入りて事を卒ふ。歸りて以って范文子に語る。文子曰く、「無禮なれば必ず言を食む。吾が死すること日無からん」と。冬、楚の公子罷晉に如きて聘し、且つ盟に蒞む。十二月、晉侯楚の公子罷と赤棘に盟ふ。
現代語訳
秋、晋は狄を交剛で破った。晋の郤至(げきし、晋の卿)が楚に赴いて聘問し、あわせて先の盟約に立ち会った。楚子(楚の共王)が彼を饗応し、子反(楚の司馬、公子側)が接待役を務めた。子反は地下室を造り、そこに鐘などの楽器を吊るしておいた。郤至が堂に上ろうとすると、足下で金属楽器の演奏が始まり、驚いて走り出た。子反は言った。「日も暮れてまいりました。わが君がお待ちです。あなたはどうかお入りください」。賓客の郤至は言った。「貴国の君は先君以来の友好を忘れず、それを下臣の私にまで及ぼし、盛大な礼を賜り、そのうえ完備した音楽まで重ねてくださいました。もし天の福があって両国の君主が会見なさるとしたら、そのときにこれ以上の何をもって代えられましょうか。下臣の身でこれを受けるわけにはまいりません」。子反は言った。「もし天の福があって両君が会見なさるとしても、そのときは一本の矢を互いに贈り合うくらいのことでしょう。音楽など何の用がありましょう。わが君がお待ちです。あなたはどうかお入りください」。郤至は言った。「もし一本の矢を贈り合うというのなら、それこそ大きな禍いです。どこに福などありましょう。世が治まっているときには、諸侯は天子への務めに暇があれば互いに朝見しあいます。そこで享と宴の礼があるのです。享は恭しさと倹約を教え、宴は慈しみと恵みを示します。恭倹によって礼を行い、慈恵によって政を施すのです。政は礼によって成り立ち、民はそれで安らぎます。百官は務めを受けて、朝には出仕しても夕方まで居残る必要がありません。これこそ公侯がその民を守る城壁となるゆえんです。だから詩に『勇ましい武人は、公侯の盾と城』とあるのです。世が乱れると、諸侯は貪欲になり、侵略の欲を慎まず、わずかな土地を争って民を使い尽くし、武人をかき集めて自分の腹心・手足・爪牙とします。だから詩に『勇ましい武人は、公侯の腹心』とあるのです。天下に道があれば、公侯は民のために盾と城となり、腹心を抑えます。乱れればその逆になります。いまあなたの言葉は乱世の道であり、手本とすることはできません。しかしあなたは主人であり、私、至がどうして従わずにいられましょう」。こうして中に入り、饗宴を終えた。帰国して范文子(士燮)にこのことを語ると、文子は言った。「礼がなければ、必ず約束を反故にする。私の死ぬ日も遠くないだろう」。冬、楚の公子罷が晋に聘問し、盟約に立ち会った。十二月、晋侯(晋の厲公)は楚の公子罷と赤棘で盟約を結んだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』文公十二年 国に陋なし春、郕伯卒す。郕人君を立つ。大子夫鍾と郕邽とを以って來奔す。公諸侯を以って之を逆ふ、禮に非ざるなり。故に書して曰く、「郕伯來奔す」と。地を書せざるは、諸侯を尊ぶなり。杞の桓公來朝す、始めて公に朝するなり。且つ叔姬を絕たんことを請ひて、昏を絕つこと無からんとす、公之を許す。二月、叔姬卒す。杞と言はざるは、絕てばなり。叔姬と書するは、女に非ざるを言ふなり。楚の令尹大孫伯卒し、成嘉令尹と為る。群舒楚に叛く。夏、子孔舒子平、及び宗子を執へ、遂に巢を圍む。秋、滕の昭公來朝す、亦た始めて公に朝するなり。秦伯西乞術をして來聘せしめ、且つ將に晉を伐たんとするを言ふ。襄仲玉を辭して曰く、「君先君の好を忘れず、魯國を照臨し、其の社稷を鎮撫し、之に重ぬるに大器を以ってす。寡君敢へて玉を辭す」と。對へて曰く、「不腆(ふてん)の敝器、辭するに足らざるなり」と。主人三たび辭す。賓答へて曰く、「寡君周公・魯公に福を徼(もと)めて、以って君に事へんことを願ふ。不腆なる先君の敝器、下臣をして諸を執事に致さしめ、以って瑞節と為し、好命を要結す。寡君の命を藉(し)きて、二國の好を結ぶ所以なり。是を以って敢へて之を致す」と。襄仲曰く、「君子有らずんば、其れ能く國せんや。國陋なること無し」と。厚く之に賄す。秦令狐の役の為の故に、
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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『春秋左氏伝』襄公二十八年 先事後賄の礼二十八年春、冰無し。梓慎曰く、「今茲(ことし)、宋・鄭其れ饑ゑんか。歲、星紀に在りて、玄枵に淫す。以て時の菑(わざはひ)有り、陰、陽に堪へず。蛇、龍に乘る。龍は宋・鄭の星なり。宋・鄭必ず饑ゑん。玄枵は虛の中なり。枵は秏(へ)るの名なり。土虛しくして民秏る、饑ゑずして何をか為さん」と。夏、齊侯・陳侯・蔡侯・北燕伯・杞伯・胡子・沈子・白狄、晉に朝す。宋の盟の故なり。齊侯將に行かんとす。慶封曰く、「我は盟に與らず、何為れぞ晉に於いてせん」と。陳文子曰く、「事を先にし賄を後にするは、禮なり。小、大に事へ、未だ事ふるを獲ずして、之に從ふこと志の如くするは、禮なり。盟に與らずと雖も、敢へて晉に叛かんや。重丘の盟、未だ忘るべからざるなり。子其れ行くを勸めよ」と。衛人、甯氏の黨を討つ。故に石惡、晉に出奔す。衛人、其の從子圃を立て、以て石氏の祀を守らしむ。禮なり。邾の悼公來朝す。時の事なり。
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