葉隠 / 聞書第二
公界と寢間の内、虎口前と疊の上、二つになり、俄に作り立つる故、間に合はぬなり。疊の上にて武勇の顯るゝ者ならでは、虎口へも選び出されぬものなり。
新字:公界と寝間の内、虎口前と畳の上、二つになり、俄に作り立つる故、間に合はぬなり。畳の上にて武勇の顕るゝ者ならでは、虎口へも選び出されぬものなり。
書き下し
公界(くがい)と寝間の内、虎口(ここう)前と畳の上、二つになり、俄(にわか)に作り立つる故、間に合わぬなり。畳の上にて武勇の顕るる者ならでは、虎口へも選び出されぬものなり。
現代語訳
人前と寝間の内、戦場の前と畳の上とを別物にして、いざというとき急ごしらえで奮い立とうとするから間に合わないのだ。日頃、畳の上で(平時の暮らしのなかで)武勇のほどを示せる者でなければ、戦場へも選び出されはしないものだ。
解説
人前と私生活、戦場と日常を別物として区別し、いざというときだけ急に奮い立とうとしても間に合わない、と説く条です。平時の暮らしぶりのなかでこそ、その人の器量や覚悟はにじみ出る。だから日頃「畳の上」で頼もしさを見せている者でなければ、肝心の場面で用いられることはない、というのです。表と裏、本番と稽古を切り分けず、日常そのものを本番と心得よという教えです。現代でも、普段の仕事ぶりや振る舞いが信頼となって、大事な役目を任される機会につながります。特別な場面だけ取り繕おうとしても見抜かれる。日々の積み重ねが評価と機会を生むという、実践的な助言です。
この章句が説くこと
葉隠日常が本番平時の備え一貫性武勇信頼
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