尚書 / 蔡仲之命
為善不同,同歸于治;為惡不同,同歸于亂
新字:為善不同,同帰于治;為悪不同,同帰于乱
書き下し
善を為すこと同じからざれども、同じく治に歸す。惡を為すこと同じからざれども、同じく亂に歸す。
現代語訳
善の行い方は人それぞれ異なっていても、結局は同じく治まる方向へ行き着く。悪の行い方も人それぞれ異なるが、結局は同じく乱れる方向へ行き着く。
解説
善行のやり方は人によって様々でよく、一つの正解に縛られる必要はないと説く一句である。丁寧な言葉をかける人もいれば、黙って手を動かす人もいる。やり方は違っても、相手を思う気持ちに根ざしていれば、結果として物事はよい方向へ向かっていく。逆に自分本位な小さな悪いふるまいは、形は違っていても、いずれ同じように状況を乱していく。手段の違いにとらわれず、向かう先が善か悪かを見極めることが大切である。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
多様性結果方向性
関連する章句
-
論語 衛霊公篇子曰わく、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。
-
老子 第2章天下皆な美を美たるを知れば、斯れ悪あり。皆な善を善たるを知れば、斯れ不善あり。故に有無相生し、難易相成し、長短相較し、高下相傾し、音声相和し、前後相随う。是を以て聖人は無為の事に処し、言わざるの教を行い、万物作らるるも而して辞せず。
-
史記 老子韓非列伝世の老子を学ぶ者は則ち儒学を絀け、儒学も亦た老子を絀く。「道同じからざれば相ひ為に謀らず」とは、豈に是を謂ふか。李耳は無為にして自ら化し、清静にして自ら正す。
-
荘子・在宥世俗の人は、皆な人の己に同じきを喜びて、人の己に異なるを悪(にく)むなり。己に同じきを之れ欲し、己に異なるを欲せざる者は、衆に出づるを以て心と為せばなり。夫れ衆に出づるを以て心と為す者は、曷(なん)ぞ嘗て衆に出でんや。衆に因りて聞く所を寧んずるは、衆技(しゅうぎ)の衆きに如かず。而るに人の国を為(おさ)めんと欲する者は、此れ三王の利を攬(と)りて、其の患いを見ざる者なり。此れ人の国を以て僥倖(ぎょうこう)するなり。幾何(いくばく)か僥倖して人の国を喪わざらんや。其の人の国を存するや、万分の一も無し。而して人の国を喪うや、一も成らずして万有余喪せん。悲しいかな、土を有つ者の知らざるや。
-
史記 劉敬叔孫通列伝叔孫通をして魯の諸生三十餘人を徴せしむ。魯に両生の行くを肯んぜざる有り、曰く、「公の事ふる所の者且に十主、皆面諛して以て親貴を得。今天下初めて定まり、死者未だ葬らず、傷者未だ起たず、又礼楽を起こさんと欲す。礼楽の由りて起こる所は、徳を積むこと百年にして後に興す可きなり。吾公の為す所を為すに忍びず。公の為す所は古に合はず、吾行かず。公往け、我を汙す無かれ」と。叔孫通笑ひて曰く、「若は真に鄙儒なり、時変を知らず」と。太史公曰く、語に曰く『千金の裘は、一狐の腋に非ざるなり。臺榭の榱は、一木の枝に非ざるなり。三代の際は、一士の智に非ざるなり』と。信なるかな。劉敬輓輅を脱して一説し、萬世の安を建つ、智豈だ専らにす可けんや。叔孫通世を希ひ務を度り、礼を制して進退し、時と変化し、卒に漢家の儒宗と為る。『大直は詘めるが若く、道は固より委蛇たり』とは、蓋し是を謂ふか。