尚書 / 無逸
文王卑服,即康功田功。徽柔懿恭,懷保小人,惠鮮鰥寡。自朝至于日中昃,不遑暇食,用咸和萬民
新字:文王卑服,即康功田功。徽柔懿恭,懐保小人,恵鮮鰥寡。自朝至于日中昃,不遑暇食,用咸和万民
書き下し
文王は卑服して、康功・田功に即く。徽柔懿恭にして、小人を懷保し、鰥寡を惠鮮す。朝より日中昃に至るまで、食に遑暇あらず、用て萬民を咸和す。
現代語訳
文王は質素な服装のまま、治水や土木の仕事、農事に自ら従事した。柔和で慎み深く、民を慈しみ守り、やもめや独り身の者にも恵みを施した。朝から日が傾くまで食事をとる暇もなく働き、こうしてすべての民を和らげ治めた。
解説
理想の君主とされる文王が、粗末な身なりのまま自ら現場の仕事に汗を流し、食事の時間さえ惜しんで人々のために働いた様子を描く一句である。地位や肩書きが上がるほど、現場から距離を置き、身なりや言葉を飾りたくなるものだが、文王はその逆を行った。誰かのために時間や手間を惜しまず注ぐ姿は、それだけで周囲の信頼を静かに積み上げていく。飾らずに動くことの説得力を、この一節は伝えている。
この章句が説くこと
率先垂範勤勉慈しみ
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六韜・励軍武王 太公に問ひて曰く、「吾 三軍の衆をして、城を攻むれば先登を争ひ、野戦すれば先赴を争ひ、金の声を聞きて怒り、鼓の声を聞きて喜ばしめんと欲す。之を為すこと奈何」と。太公曰く、「将に三あり」と。武王曰く、「敢へて其の目を問はん」と。太公曰く、「将 冬に裘を服ず、夏に扇を操らず、雨に蓋を張らず、名づけて礼将と曰ふ。将 身づから礼を服せざれば、以て士卒の寒暑を知る無し。隘塞を出で、泥塗を犯すには、将 必ず先づ下りて歩む、名づけて力将と曰ふ。将 身づから力を服せざれば、以て士卒の労苦を知る無し。軍 皆な次を定めて、将 乃ち舎に就く。炊ぐ者 皆な熟して、将 乃ち食に就く。軍 火を挙げざれば、将も亦た挙げず、名づけて止欲将と曰ふ。将 身づから止欲を服せざれば、以て士卒の飢飽を知る無し。将 士卒と寒暑・労苦・飢飽を共にす、故に三軍の衆、鼓の声を聞けば則ち喜び、金の声を聞けば則ち怒る。高城深池、矢石 繁く下るも、士は先登を争ふ。白刃 始めて合ふも、士は先赴を争ふ。士は死を好みて傷つくを楽しむに非ざるなり。其の将の寒暑・飢飽を知ること審らかにして、労苦を見ること明らかなるが為なり」と。