孫子 / 始計篇
一曰道,二曰天,三曰地,四曰將,五曰法。
新字:一曰道,二曰天,三曰地,四曰将,五曰法。
書き下し
一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。
現代語訳
第一に「道」、第二に「天」、第三に「地」、第四に「将」、第五に「法」である。
解説
始計篇の核心である「五事」を列挙した一節です。孫子は、戦いの帰趨を決める要素を、道(大義と結束)・天(時勢や気象)・地(地形や立地)・将(指導者の資質)・法(制度と運用)の五つに整理しました。勝敗を漠然と眺めるのではなく、この五つの窓から分解して捉えよ、というのです。現代の組織や事業にもそのまま当てはまります。理念と結束(道)、外部環境やタイミング(天)、市場や立地(地)、リーダーの力量(将)、仕組みと運営(法)。物事がうまくいくかどうかを、この五つの観点で点検すれば、強みと弱みが具体的に見えてきます。複雑な状況を、意味のある要素に切り分けて捉える——その思考の型を、孫子はまず示します。
この章句が説くこと
五事基準組織
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孫子・始計篇道とは、民をして上と意を同じくし、之と死す可く、之と生く可くして、危きを畏れざらしむるなり。
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『墨子』備城門城上、十人に一什長、一吏士に屬し、一帛尉あり。百步に一亭、髙垣は丈四尺、厚さ四尺、閨門兩扇を為り、各おの以て自ら閈す可からしむ。亭尉は、尉は必ず序有り忠信にして事に任ず可き者を取る。
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『弁道』第六則後儒多く学者に強ふるに、高妙精微、凡人の為す能はざる所の者を以てし、而して聖人是を以て極を立つと曰ふ。妄なるかな。先王の極を立つとは、礼を謂ふなり。漢儒極を訓じて中と為す。礼は中を教ふる所以なり。又た中庸の書を解して、子思礼の意を説くと謂ふ。其の説未だ当たらずと雖も、之を要するに古を去ること未だ遠からず、師弟の伝授する所、古義猶ほ存する者のみ。蓋し先王の礼を制するや、賢者は俯して之に就き、不肖者は企てて之に及ぶ。是れ所謂極なり。是れ凡人の能く為す所の者なり。爾らずして、務めて凡人の為す能はざる所の者を以て之を強ふるは、是れ天下の人をして善に絶望せしむるなり。豈に先王の天下を安んずるの道ならんや。故に所謂事理当然の極、及び気質を変化し、学びて聖人と為るの類は、皆先王孔子の教への旧に非ず。近世伊氏能く其の是に非ざるを知る。而るに廼ち孝弟仁義を以て規矩準縄と謂為す。果たして是くの若きか、則ち人人自ら其の意を以て孝弟仁義と為すなり。亦た何の準とする所あらんや。寸無きの尺、星無きの称と謂ふべきのみ。
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『墨子』尚賢上是の故に古者、聖王の政を為すや言いて曰く、「義ならざれば富まさず、義ならざれば貴くせず、義ならざれば親しまず、義ならざれば近づけず」と。是を以て國の富貴の人、之を聞きて、皆な退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は富貴なり。今、上、義を舉ぐるに貧賤を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。親しき者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は親なり。今、上、義を舉ぐるに親疎を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。近き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我が恃む所の者は近なり。今、上、義を舉ぐるに近を辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺き者、之を聞き、亦た退きて謀りて曰く、「始め我れ逺きを以て恃む無しと為す。今、上、義を舉ぐるに逺きを辟けず。然らば則ち我れ義を為さざる可からず」と。逺鄙郊外の臣、門庭の庶子、國中の衆、四鄙の氓人に逮び至るまで、之を聞きて皆な競いて義を為す。
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『墨子』法儀然らば則ち奚を以て治法を為して可ならんか。故に曰く、天に法るに若くは莫し、と。天の行いは廣くして私無く、其の施しは厚くして徳とせず、其の明るきは久しくして衰えず。故に聖王は之に法る。既に天を以て法と為さば、動作有為には、必ず天に度り、天の欲する所は則ち之を為し、天の欲せざる所は則ち止む。
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『墨子』法儀子墨子曰く、天下の事を從むる者は、以て法儀無かる可からず。法儀無くして其の事能く成る者は、有ること無し。士の將相為る者に至ると雖も皆な法有り、百工の事を從むる者に至ると雖も亦た皆な法有り。百工は方を為すに矩を以てし、圜を為すに規を以てし、直きは繩を以てし、正しきは懸を以てす。巧工も不巧工も無く、皆な此の四者を以て法と為す。巧なる者は能く之に中り、不巧なる者は中つる能わずと雖も、放依して以て事を從めば、猶お已に逾えたり。故に百工の事を從むるや、皆な法度有り。今、大なる者は天下を治め、其の次は大國を治むるに、而も法度無し。此れ百工の辯なるに若かざるなり。
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