尚書 / 說命中
非知之艱,行之惟艱
書き下し
之を知るの艱きに非ず、之を行うの惟れ艱し。
現代語訳
物事を知ることが難しいのではない、それを実行することこそが難しいのである。
解説
何をすべきかを頭で理解することは、実はそれほど難しくない場合が多い。健康に良い習慣も、人への接し方も、大抵の人はすでに知っている。本当に難しいのは、それを日々の生活の中で実際に続け、行動として積み重ねていくことである。分かっているのにできない、という隔たりに向き合うことこそが、成長の本当の課題だと言える。知識を集めることに満足して立ち止まっていないか、この一句は静かに問いかけてくる。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
知行実行実践
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司馬法・嚴位陳(じん)することの難きに非ず、人をして陳す可からしむることの難きなり。人をして陳す可からしむることの難きに非ず、人をして用う可からしむることの難きなり。知ることの難きに非ず、行うことの難きなり。
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尚書・太甲下慮らずんば胡ぞ獲、為さずんば胡ぞ成らん。
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