尚書 / 太甲下
弗慮胡獲,弗為胡成
書き下し
慮らずんば胡ぞ獲、為さずんば胡ぞ成らん。
現代語訳
深く考えなければ何を得られようか、実際に行動しなければ何を成し遂げられようか。
解説
望む結果を得たいなら、まず考え抜くこと、そして実際に手を動かすことの両方が欠かせない。願うだけで考えを深めなければ的外れな努力になり、考えるだけで行動に移さなければ何も形にならない。日々の仕事や勉強でも、思案と実行の両輪がそろって初めて成果につながる。この短い問いかけは、今取り組んでいることが十分に考えられ、かつ実際に手をつけられているかを振り返らせてくれる。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
熟慮実行成果
関連する章句
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尚書・說命中之を知るの艱きに非ず、之を行うの惟れ艱し。
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司馬法・嚴位陳(じん)することの難きに非ず、人をして陳す可からしむることの難きなり。人をして陳す可からしむることの難きに非ず、人をして用う可からしむることの難きなり。知ることの難きに非ず、行うことの難きなり。
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二宮翁夜話・巻之四翁曰く、朝夕に善を思うといえども、善事を為さざれば、善人と云うべからざるは、昼夜に悪を思うといえども、悪を為さざれば、悪人と云うべからざるが如し、故に人は、悟道治心(ごどうちしん)の修行などに暇(いとま)を費(つい)やさんよりは、小善事なりとも身に行うを尊しとす、善心発(おこ)らば速(すみや)かに是(これ)を事業に表(あらわ)すべし、親ある者は親を敬養(けいよう)すべし、子弟(してい)ある者は子弟を教育すべし、飢人(うえびと)を見て哀(あわ)れと思わば速かに食を与うべし、悪しき事仕(し)たり、われ過(あやま)てりと心付くとも、改めざれば詮(せん)なし、飢人を見て哀れと思うとも、食を与えざれば功なし、故に我が道は実地実行を尊ぶ、夫(それ)世の中の事は実行にあらざれば、事はならざる物なればなり、譬(たと)えば菜虫(なむし)の小なる、是を求(もと)むるに得べからず、然(しか)れども菜を作れば求めずして自(おのず)から生ず、孑孒(ぼうふり)の小なる、是を求むるに得べからず、桶(おけ)に水を溜(た)めおけば自から生ず、今此の席に蠅(はえ)を集めんとすとも、決して集らず、捕(とら)え来りて放(はな)つとも、皆飛び去る、然るに飯粒を置く時は集めずして集るなり、能々(よくよく)此の道理を弁(わきま)えて、実地実行を励むべし。
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孫子・始計篇計利を以て聴き、乃ちこれを勢と為して、その外を佐く。
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尚書・君陳爾に嘉謀嘉猷有らば、則ち入りて爾の后に內に告げ、爾乃ち之に順いて外に行え。
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二宮翁夜話・巻之四翁曰く、我が道は至誠と実行のみ、故に鳥獣(ちょうじゅう)虫魚(ちゅうぎょ)草木にも皆及ぼすべし、況(いわ)んや人に於(お)けるをや、故に才智弁舌(さいちべんぜつ)を尊(たっと)まず、才智弁舌は、人には説くべしといえども、鳥獣草木を説く可(べ)からず、鳥獣は心あり、或(ある)いは欺(あざむ)くべしといえども、草木をば欺く可からず、夫(それ)我が道は至誠と実行となるが故に、米麦蔬菜(そさい)瓜茄子(うりなす)にても、蘭菊(らんぎく)にても、皆是(これ)を繁栄せしむるなり、仮令(たとい)知謀(ちぼう)孔明を欺き、弁舌蘇長(そちょう)を欺くといえども、弁舌を振(ふる)いて草木を栄(さか)えしむる事は出来ざるべし、故に才智弁舌を尊まず、至誠と実行を尊ぶなり、古語に、至誠神(かみ)の如しと云うといえども、至誠は則(すなわ)ち神と云うも、不可なかるべきなり、凡(およ)そ世の中は智あるも学あるも、至誠と実行とにあらざれば事は成らぬ物と知るべし。