甲陽軍鑑 / 起巻
ねてもさめても、或は食事の時も主へ忠節忠功を存すべき事一敵方にても、一國を持給ふ侍は、なに大將か大將と申さず、たゝ大將とばかり申物也、此大將をも、口きたなくいふ事、弱將の下にて、未練の人々の作法也、惣別一國の主をば、敵みかたともに、口にても、書付もうやまふて申事也、子細は日本國をあつめても、百人にたらず、六十六人の武士なり、さる程に、一國をもつ大將の中に、古來からの侍をば、家をたつとび、うやまふべし、しいでの國持侍をば、其人の智惠冥加を感じて思へば、是又口きたなふ申は非也、敵をそしるは、必弓矢ちとよはき家にての作法也、
新字:ねてもさめても、或は食事の時も主へ忠節忠功を存すべき事一敵方にても、一国を持給ふ侍は、なに大将か大将と申さず、たゝ大将とばかり申物也、此大将をも、口きたなくいふ事、弱将の下にて、未練の人々の作法也、惣別一国の主をば、敵みかたともに、口にても、書付もうやまふて申事也、子細は日本国をあつめても、百人にたらず、六十六人の武士なり、さる程に、一国をもつ大将の中に、古来からの侍をば、家をたつとび、うやまふべし、しいでの国持侍をば、其人の智恵冥加を感じて思へば、是又口きたなふ申は非也、敵をそしるは、必弓矢ちとよはき家にての作法也、
書き下し
ねてもさめても、或は食事の時も主へ忠節忠功を存すべき事一敵方にても、一国を持給ふ侍は、なに大将か大将と申さず、たゝ大将とばかり申物也、此大将をも、口きたなくいふ事、弱将の下にて、未練の人々の作法也、惣別一国の主をば、敵みかたともに、口にても、書付もうやまふて申事也、子細は日本国をあつめても、百人にたらず、六十六人の武士なり、さる程に、一国をもつ大将の中に、古来からの侍をば、家をたつとび、うやまふべし、しいでの国持侍をば、其人の智恵冥加を感じて思へば、是又口きたなふ申は非也、敵をそしるは、必弓矢ちとよはき家にての作法也、
現代語訳
武士は寝ても覚めても、あるいは食事の時も、主人へ忠節忠功を存ずべき事。一、敵方であっても一国を持たれる侍は、何大将とは申さず、ただ大将とばかり申すものである。この大将をも口汚く言う事は、弱い大将の下で未練な人々の作法である。総じて一国の主を、敵味方ともに口でも書付でも敬って申す事である。子細は、日本国を集めても百人に足らず、六十六人の武士である。さるほどに、一国を持つ大将の中で、古来からの侍は家を尊び敬うべきである。仕出しの国持ちの侍は、その人の智恵と冥加を感じて思えば、これもまた口汚く申すのは非である。敵を謗るのは、必ず弓矢が少し弱い家での作法である。
解説

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