尚書 / 伊訓
作善降之百祥,作不善降之百殃
書き下し
善を作(な)せば之に百祥(ひゃくしょう)を降し、不善を作せば之に百殃(ひゃくおう)を降す。
現代語訳
善い行いをすれば天は数々の幸いを下し、善くない行いをすれば天は数々の災いを下す。
解説
善悪の行いに応じて天が福や災いをもたらすという、素朴でありながら根強い因果応報の考え方を示す句である。実際には善行がすぐに報われるとは限らず、この言葉をそのまま信じられない場面も多いだろう。それでも、日々の小さな善意や不誠実の積み重ねが、巡り巡って自分の周りの空気や関係を形づくっていくという実感は、多くの人が持っているはずである。目先の得失だけでなく、積み重ねの先に何が待つかを考えさせる言葉として読むとよい。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
因果応報善行積み重ね
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『初学訓』巻之五一尚書に、善をすれば、天より百の祥を降し、不善をすれば、百の禍を降し給ふといへり。又、善悪のむくい、影の形に随ひ、響の音に応ずるが如く、必ず其しるし有ることを、聖人説き給ふ。又、天道は善に福し、淫に禍すといへり。天より、善人には福をあたへ、悪人には禍し給ふなり。易にも、積善の家には、必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃ありといへり。久しく善をつめる家にはさいはひ多く、久しく悪をつめる家には禍多しといふ意なり。是、天道の常理なることを説き給ふ。是皆、聖人のをしへなれば、いつはり違あるべからず。必ず其しるしあり、疑ふべからず。又古語に、天道は好還といへり。天道は、善人に幸し悪人に禍し給ふ道理にて、善悪ともに、必ず其報を好み給ふを、かへすことを好むといへり。
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『慎思録』巻之一善を作せば、天より之を佑けて、百祥を降す。不善を作せば、天より之を害して、百殃を降す。故に善を作すは、是れ百福来集の基なり。神仏に諧ふに勝ること、何ぞ百倍に止まらん。君子は道の為にし、衆人は福の為にす。衆人も亦須らく天道の善に福し淫に禍するの理を知りて、天を畏れ奉若し、災ひを避け祥を求むべし。此の理、古今華夷の往迹に、歴歴として見るべし。是れ天道の至教、必然の理にして、信ずべく畏るべくして、疑ふべからず。
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尚書・伊訓臣下匡(ただ)さずんば、其の刑は墨、具(つぶさ)に蒙士に訓(をし)ふ。嗚呼(ああ)、嗣王厥(そ)の身を祗(つつし)み、念へや。聖謨洋洋として、嘉言孔(はなは)だ彰(あき)らかなり。惟れ上帝は常ならず、
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尚書・伊訓爾惟れ徳は小なりとする罔かれ、万邦惟れ慶ばん。爾惟れ不徳は大なりとする罔くとも、厥の宗を墜さん」と。
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『初学訓』巻之五其験の必ず違はざること、聖人の教明らかなり。又は、古今天下の書に載せたる所、及び語り伝ふること限なし。疑ふべからず。小人は、一事善を行ひて、其報なければ、験なしとて、止めて行はず。凡そ善を行ふこと、久しく積みかさなれば、必ず其験あり。人したがひ、天喜び給ふ。又、小人は、悪を行ひて禍無ければ、害なしとて止めず。悪を行ふこと積み重れば、必ず其報あり。天道おそるべし。
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『五常訓』巻之三・仁之下一尚書曰、天道は善にさいはひし、淫にわざはひす。又曰、善をなせばこれに百の祥をくだし、不善をなせばこれに百の殃をくだす。又老子曰く、天道は還すを好む。是皆天道の、善をこのみ悪をにくみ給ひて、善人にさいはひし、悪人にわざはひして、善悪の報をかへし給ふ理をいへり。此理、古今和漢其証多ければ、必うたがふべからず。愚者は此理を知らで、天道をおそれず、唯眼前の利をむさぼりて、後のわざはひを知らず。豈ただ義理にくらきのみならんや。我が身の禍福損得をもわきまへず。かなしむべし。不仁の至なり。