尚書 / 五子之歌
弗慎厥德,雖悔可追
新字:弗慎厥徳,雖悔可追
書き下し
厥(そ)の徳を慎まざれば、悔ゆと雖(いえど)も追(お)う可(べ)けんや。
現代語訳
自らの徳を慎んでいなければ、いくら悔やんでも、もはや取り返しがつくだろうか、いや、つきはしない。
解説
太康が遊興に耽り国を失った顛末を、弟たちが悲しみながら振り返る歌の結びである。徳を慎むというのは日々の小さな積み重ねであり、崩れてから悔やんでも、失った信頼や機会は簡単には戻らない。仕事の手を抜いたことも、大切な人との約束を軽んじたことも、後になって「しまった」と思っても取り返せないことは多い。だからこそ、まだ間に合ううちに、自分の振る舞いを整えておく値打ちがある。なお、本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
この章句が説くこと
慎独後悔徳
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