尚書 / 無逸
文王不敢盤于遊于田,以庶邦惟正之共。文王受命惟中身,厥享國五十年。」周公曰:「嗚呼!繼自今嗣王,則其無淫于觀、于逸、于遊、于田,以萬民惟正之共。無皇曰:『今日湛樂。』乃非民攸訓,非天攸若,時人丕則有愆。無若殷王受之迷亂,酗于酒德哉!」周公曰:「嗚呼!我聞曰:『古之人猶胥訓告,胥保惠,胥教誨;民無或胥譸張爲幻。』此厥不聽,人乃訓之,乃變亂先王之正刑,至于小大。民否則厥心違怨,否則厥口詛祝。」周公曰:「嗚呼!自殷王中宗,及高宗,及祖甲,及我周文王,兹四人迪哲。厥或告之曰:
新字:文王不敢盤于遊于田,以庶邦惟正之共。文王受命惟中身,厥享国五十年。」周公曰:「嗚呼!継自今嗣王,則其無淫于観、于逸、于遊、于田,以万民惟正之共。無皇曰:『今日湛楽。』乃非民攸訓,非天攸若,時人丕則有愆。無若殷王受之迷乱,酗于酒徳哉!」周公曰:「嗚呼!我聞曰:『古之人猶胥訓告,胥保恵,胥教誨;民無或胥譸張為幻。』此厥不聴,人乃訓之,乃変乱先王之正刑,至于小大。民否則厥心違怨,否則厥口詛祝。」周公曰:「嗚呼!自殷王中宗,及高宗,及祖甲,及我周文王,茲四人迪哲。厥或告之曰:
書き下し
文王は敢へて遊に田に盤(たの)しまず、庶邦を以て惟れ正に之れ共す。文王命を受くるは惟れ中身にして、厥の国を享くること五十年なり。」周公曰く、「嗚呼(ああ)!継ぎて今より嗣王は、則ち其れ観に、逸に、遊に、田に淫すること無く、万民を以て惟れ正に之れ共せよ。皇(いとま)ありて曰ふこと無かれ、『今日は湛楽せん』と。乃ち民の訓とする攸に非ず、天の若(したが)ふ攸に非ず、時の人丕いに則ち愆(あやま)ち有らん。殷王受の迷乱し、酒徳に酗(くる)ふが若くなる無かれ。」周公曰く、「嗚呼(ああ)!我聞く、曰く、『古の人は猶ほ胥(あひ)訓告し、胥保恵し、胥教誨す。民は或いは胥譸張して幻を為すこと無し』と。此れ厥れ聴かずんば、人乃ち之に訓(なら)ひ、乃ち先王の正刑を変乱し、小大に至らん。民否(しか)らずんば則ち厥の心違怨し、否らずんば則ち厥の口詛祝せん。」周公曰く、「嗚呼(ああ)!殷王中宗より、及び高宗、及び祖甲、及び我が周の文王、茲の四人は迪(みち)に哲なり。厥れ或いは之に告げて曰く、
現代語訳
文王はあえて遊びや狩りにふけることなく、諸国とともに正しい政にだけ務めた。文王が天命を受けたのは人生の半ばであり、国を保つこと五十年に及んだ。」周公は言った。「ああ、今から後を継ぐ王は、見物にも、安楽にも、遊びにも、狩りにもふけることなく、万民とともに正しい政にだけ務めよ。『今日だけは楽しもう』と言い訳をしてはならない。それは民の手本となるものではなく、天が認めるものでもない。そうすれば当時の人々は大いに過ちを犯すであろう。殷の王受(紂)が迷い乱れ、酒に溺れて徳を失ったようになってはならない。」周公は言った。「ああ、私はこう聞いている、『昔の人は、互いに教え戒め、互いに保ち恵み、互いに教え諭したので、民は互いにだましあったり、でたらめを言いふらしたりすることはなかった』と。この教えを聞かなければ、人々は(悪い王に)ならい、先王の正しい法を変え乱して、大小の事にまで及ぶであろう。そうなれば民は心の中で背き恨み、あるいは口で呪うであろう。」周公は言った。「ああ、殷の王中宗から、高宗、祖甲、そして我が周の文王まで、この四人は道に明るい賢者であった。ある者が彼らに告げて言った、
解説
関連する章句
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尚書・無逸小人を相(み)るに、厥の父母は稼穡に勤労するに、厥の子は乃ち稼穡の艱難を知らず、乃ち逸し乃ち諺(あなど)り、既に誕(ほしいまま)にし、否(しか)らずんば則ち厥の父母を侮りて曰く、『昔の人は聞知すること無し』と。」周公曰く、「嗚呼(ああ)!我聞く、曰く、昔殷王中宗に在りては、厳恭寅畏し、天命もて自ら度り、民を治むるに祗懼し、敢へて荒寧せず。肆に中宗の国を享くること、七十有五年。其の高宗に在りては、時れ旧(ひさ)しく外に労し、爰に小人と暨(とも)にす。作(た)ちて其の位に即くや、乃ち或いは亮陰し、三年言はず。其れ惟れ言はざるも、言へば乃ち雍(やはら)ぐ。敢へて荒寧せず、殷邦を嘉靖す。小大に至るまで、時に或いは怨むこと無し。肆に高宗の国を享くること、五十有九年。其の祖甲に在りては、王たるを義とせず、旧しく小人と為る。作ちて其の位に即くや、爰に小人の依るところを知り、能く庶民を保恵し、敢へて鰥寡を侮らず。肆に祖甲の国を享くること、三十有三年。時より厥の後、立つる王は生まれながらにして則ち逸す。生まれながらにして則ち逸すれば、稼穡の艱難を知らず、小人の労を聞かず、惟れ湛楽に之れ従ふ。時より厥の後、亦能く寿(ながら)ふる或る罔く、或いは十年、或いは七八年、或いは五六年、或いは四三年なり。」周公曰く、「嗚呼(ああ)!厥れ亦惟れ我が周の太王・王季、克く自ら抑畏す。
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尚書・無逸厥の愆(あやまち)を、曰く、『朕の愆なり、允に時(か)くの若し』と。啻に敢へて怒りを含まざるのみならず。此れ厥れ聴かずんば、人乃ち或いは譸張して幻を為さん。曰く、『小人汝を怨み汝を詈る』と。則ち之を信ぜん。則ち時の若くんば、永く厥の辟を念はず、厥の心を寛綽にせず、乱りに無罪を罰し、無辜を殺さん。怨み同じき有りて、是れ厥の身に叢(あつ)まらん。」周公曰く、「嗚呼(ああ)!嗣王其れ茲に監みよ。」
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史記 魯周公世家其の高宗に在りては、久しく外に労し、小人と与に為る。其の即位するを作すや、乃ち亮闇有り、三年言はず。言へば乃ち讙ぶ。敢て荒寧せず、殷国を密靖し、小大に至るまで怨無し。故に高宗、国を饗くること五十五年。其の祖甲に在りては、王たるを不義とし、久しく外に小人為り、小人の依を知り、能く小民を保施し、寡を侮らず。故に祖甲、国を饗くること三十三年」と。多士に称して曰く、「湯より帝乙に至るまで、祀を率ひ徳を明らかにせざる無く、帝の天に配せざる者無し。今の後嗣の王紂に在りては、誕に厥の佚に淫し、天及び民の従ふ所を顧みず。其の民皆誅す可し」と。「文王は日中昃くまで食するに暇あらず、国を饗くること五十年」と。此を作りて以て成王を誡む。成王豊に在り、天下已に安し。周の官政未だ次序あらず。是に於て周公、周官を作り、官ごとに其の宜しきを別ち、立政を作りて、以て百姓を便にす。百姓説ぶ。周公豊に在りて、病みて将に没せんとして、曰く、「必ず我を成周に葬り、以て吾の敢て成王を離れざるを明らかにせよ」と。周公既に卒し、成王も亦譲り、周公を畢に葬り、文王に従はしめ、以て予小子の敢て周公を臣とせざるを明らかにす。
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尚書・無逸周公曰く、「嗚呼(ああ)!
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尚書・無逸文王は卑服して、康功・田功に即く。徽柔懿恭にして、小人を懷保し、鰥寡を惠鮮す。朝より日中昃に至るまで、食に遑暇あらず、用て萬民を咸和す。
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尚書・酒誥王若(かく)のごとく曰く、「大命を妹邦に明らかにせよ。乃の穆考文王、国を西土に肇(はじ)め、厥の誥げて庶邦庶士と越に少正・御事を毖(いまし)め、朝夕曰く、『祀に茲れ酒あり』と。惟れ天命を降し、我が民を肇めしは惟れ元祀の為なり。天威を降し、我が民用て大いに乱れ徳を喪ふも、亦酒に非ずして惟れ行ふ罔し。越に小大の邦用て喪ぶるも、亦酒に非ずして惟れ辜ある罔し。文王小子に誥げ教ふ、有正・有事、酒を彝(つね)にすること無かれ。越に庶国、飲むは惟れ祀のみ、徳将(たも)ちて酔ふこと無かれ。惟れ曰く、我が民迪(みちび)きて、小子惟れ土物を愛(をし)み、厥の心臧(よ)く、聡く祖考の彝訓と越に小大の徳とを聴き、小子惟れ一にせよ。妹土厥の股肱を嗣ぎ、純(もは)ら其れ黍稷を芸(う)ゑ、奔走して厥の考・厥の長に事へよ。肇(すみや)かに車牛を牽き、遠く賈用に服し、厥の父母に孝養せよ。厥の父母慶(よろこ)ばば、自ら洗腆(せんてん)して、酒を致し用ひよ。庶士・有正と越に庶伯・君子、其れ爾典(つね)に朕が教を聴け。爾大いに克く耇(おいびと)と惟れ君とに羞(すす)めば、爾乃ち飲食して酔飽せよ。丕いに惟れ曰ふ、爾克く永く観省し、作(な)すこと中徳に稽(かな)へば、爾尚はくは克く饋祀を羞め、爾乃ち自ら介(たす)けて逸を用ひよ。茲れ乃ち允に惟れ王の正事の臣なり。茲れ亦惟れ天元徳に若(したが)ひ、永く王家に在るを忘れられず。」王曰く、「封よ。我が西土棐徂(ひそ)の邦君・御事・小子、尚はくは克く文王の教を用ひ、酒に腆(あつ)からず。故に我今に至り、克く殷の命を受く。」王曰く、「封よ。我聞く惟れ曰く、『在昔殷の先哲王、天の顕と小民とを迪畏し、徳を経(つね)にし哲を秉る。成湯より咸帝乙に至るまで、王を成して畏る。相くる惟れ御事、厥の棐(たす)くるに恭有り、敢て自ら暇(いとま)あり自ら逸せず、矧んや曰く其れ敢て飲を崇ばんや。越に外服に在る、侯・甸・男・衛・邦伯、越に内服に在る、百僚・庶尹・惟亜・惟服・宗工、越に百姓里居、敢て酒に湎(おぼ)るる罔し、惟れ敢てせざるのみならず、亦暇あらず。惟れ王の徳を助成して顕らかにし、越に尹人辟を祗む。』
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