三略 / 上略
軍讖曰:用兵之要,必先察敵情,視其倉庫,度其糧食,卜其強弱,察其天地,伺其空隙。故國無軍旅之難,而運糧者,虛也。民菜色者,窮也。千里饋糧,士有飢色。樵蘇後爨,師不宿飽。夫運糧千里,無一年之食,二千里,無二年之食,三千里,無三年之食,是謂國虛。國虛,則民貧:民貧,則上下不親。敵攻其外,民盜其內,是謂必潰。
新字:軍讖曰:用兵之要,必先察敵情,視其倉庫,度其糧食,卜其強弱,察其天地,伺其空隙。故国無軍旅之難,而運糧者,虚也。民菜色者,窮也。千里饋糧,士有飢色。樵蘇後爨,師不宿飽。夫運糧千里,無一年之食,二千里,無二年之食,三千里,無三年之食,是謂国虚。国虚,則民貧:民貧,則上下不親。敵攻其外,民盗其内,是謂必潰。
書き下し
軍讖に曰く、兵を用うるの要は、必ず先ず敵情を察し、其の倉庫を視、其の糧食を度り、其の強弱を卜し、其の天地を察し、其の空隙を伺う、と。故に国に軍旅の難無くして糧を運ぶ者は、虚なり。民に菜色ある者は、窮なり。千里に糧を饋れば、士に飢色有り。樵蘇して後に爨げば、師は宿として飽かず。夫れ糧を千里に運びて一年の食無く、二千里にして二年の食無く、三千里にして三年の食無きを、是を国虚と謂う。国虚なれば、則ち民貧し。民貧しければ、則ち上下親しまず。敵は其の外を攻め、民は其の内に盗む。是を必潰と謂う。
現代語訳
軍讖にこうある。軍を用いる要点は、必ずまず敵情をよく調べ、その倉庫を見、その食糧を測り、その強弱を占い、その天候と地形を察し、その隙をうかがうことである、と。だから、戦の危機もないのに食糧を運んでいる国は、内実が空っぽである。民の顔に菜食の色が浮かんでいる国は、行き詰まっている。千里の彼方へ食糧を運べば、兵の顔には飢えの色が出る。その日に薪を採ってから飯を炊くようでは、軍はいつまでも腹一杯にならない。千里に食糧を運びながら一年分の蓄えがなく、二千里に運びながら二年分がなく、三千里に運びながら三年分がない。これを国が空っぽだという。国が空っぽになれば民は貧しくなる。民が貧しくなれば上下は親しみを失う。敵は外から攻め、民は内で盗む。これを必ず潰えるという。
解説
この章句が説くこと
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孫子・行軍篇奔走して兵を陳ぬる者は、期するなり。半ば進み半ば退く者は、誘うなり。
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史記 酈生陸賈列伝之に謝す。酈生因りて六国従横の時を言ふ。沛公喜び、酈生に食を賜ひ、問ひて曰く、「計将に安くにか出でん」と。酈生曰く、「足下糾合の衆を起こし、散乱の兵を収むるも、万人に満たず。以て径ちに彊秦に入らんと欲す、此れ所謂虎口を探る者なり。夫れ陳留は天下の衝、四通五達の郊なり。今其の城又多く粟を積む。臣其の令に善し、請ふ之に使ひして、足下に下らしめん。即し聴かずんば、足下兵を挙げて之を攻めよ、臣内応と為らん」と。是に於て酈生を遣はして行かしめ、沛公兵を引きて之に随ひ、遂に陳留を下す。酈食其を号して広野君と為す。酈生其の弟酈商を言ひ、数千人を将ゐて沛公に従ひ西南に地を略せしむ。酈生常に説客と為り、諸侯に馳使す。漢の三年秋、項羽漢を撃ち、滎陽を抜く。漢兵遁れて鞏・洛を保つ。楚人淮陰侯の趙を破り、彭越の数(しばしば)梁の地に反するを聞き、則ち兵を分かちて之を救ふ。淮陰方に東して斉を撃ち、漢王数滎陽・成皋に困しみ、成皋以東を捐てて、鞏・洛に屯して以て楚を拒がんと計欲す。酈生因りて曰く、
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