孫子 / 作戦篇
善用兵者,役不再籍,糧不三載,取用於國,因糧於敵,故軍食可足也。
新字:善用兵者,役不再籍,糧不三載,取用於国,因糧於敵,故軍食可足也。
書き下し
兵を善く用うる者は、役に再び籍せず、糧を三たび載せず。国に用を取り、敵に因りて糧をし、故に軍食足るべし。
現代語訳
戦上手は徴兵や兵糧を繰り返さず、敵から奪って軍を養う。
解説
作戦篇で、消耗を避ける知恵を説いた一節です。戦い上手は、兵の動員を何度も繰り返さず、兵糧を本国から何度も運ばず、装備は自国で調達しつつ、食糧は敵地で現地調達する。だから軍は飢えずに戦い続けられる、というのです。徹底したコスト意識と、資源の効率的な運用が説かれています。仕事でも、すべてを自前で抱え、何度も一から動員し直すやり方は、体力を消耗します。既にある資源を使い回し、現地やパートナーの力を賢く借り、無駄な往復を減らす。手元と現場にあるものを最大限に活かせば、少ない負担で長く戦えます。力任せに投入するのではなく、補給と効率を制する者が持続的に戦える——兵站の発想を、孫子は勝敗の条件に数えました。
この章句が説くこと
現地調達兵站
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