人物志 / 八觀
直之失也訐,剛之失也厲,和之失也懦,介之失也拘。
書き下し
直の失や訐、剛の失や厲、和の失や懦、介の失や拘。
現代語訳
実直さの行き過ぎは他人の欠点をあばくことになり、剛毅さの行き過ぎは厳しさになり、温和さの行き過ぎは軟弱になり、節操の堅さの行き過ぎは頑なになる。
解説
実直さが行き過ぎれば他人の欠点をあばく行為になり、剛毅さが行き過ぎれば厳しさになり、温和さが行き過ぎれば軟弱になり、節操の堅さが行き過ぎれば頑なさになると人物志は説く。美徳と欠点は別々のものではなく、同じ性質の程度の違いに過ぎないという見方である。自分の長所だと思っている性質も、度が過ぎれば短所として表れることを踏まえておくと、褒められた特性に安住せず、その加減を意識できるようになる。
この章句が説くこと
美徳過剰表裏
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『墨子』辭過古の民、未だ飲食を為るを知らざる時、素食して分れ處る。故に聖人、作りて男に耕稼樹藝を誨えて、以て民の食を為らしむ。其の食を為るや、以て氣を増し虚を充たし、體を彊くし腹に適うに足るのみ。故に其の財を用うること節にして、其の自ら養うこと儉なれば、民富み國治まる。今は則ち然らず。厚く百姓に作斂して、以て美食・芻豢・蒸炙・魚鼈を為り、大國は百器を累ね、小國は十器を累ね、前は方丈にして、目は徧く視る能わず、手は徧く操る能わず、口は徧く味わう能わず。夏は則ち冰を設け、冬は則ち饐を飾る。人君の飲食を為すこと此くの如し。故に左右之に象る。是を以て富貴なる者は奢侈にして、孤寡なる者は凍餒す。亂無からんと欲するも、得可からざるなり。君、實に天下の治を欲して其の亂を惡まば、當に飲食を為すは節せざる可からず。
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老子 第9章持ちて之を盈たすは、其の已るに如かず。揣(き)りてその鋭を為すは、長く保つ可からず。金玉満堂、之を能く守る者莫し。富貴して驕れば、自ら其の咎を遺す。功を成して身を退く、天の道なり。
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『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「子は三年の喪を以て非と為す。子の三日の喪も亦た非なり」と。子墨子曰く、「子は三年の喪を以て三日の喪を非とす。是れ猶お倮なる者の蹶く者を恭しからずと謂うがごときなり。
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論語・先進篇子貢問う、「師と商とは孰れか賢れる。」子曰く、「師や過ぎたり、商や及ばず。」曰く、「然らば則ち師愈れるか。」子曰く、「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。」
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呂氏春秋・侈樂①人は其の生を以て生きざるは莫し、而れども其の生くる所以を知らず。人は其の知を以て知らざるは莫し、而れども其の知る所以を知らず。其の知る所以を知る、之を道を知ると謂う。其の知る所以を知らざる、之を寶を棄つと謂う。寶を棄つる者は必ず其の咎に離る。世の人主は、多く珠玉戈劍を以て寶と為し、愈々多くして民愈々怨み、國人愈々危うく、身愈々危累す。則ち寶の情を失うなり。亂世の樂は此と同じ。木革の聲を為せば則ち雷の若く、金石の聲を為せば則ち霆の若く、絲竹歌舞の聲を為せば則ち譟の若し。此を以て心気を駭かし、耳目を動かし、生を搖蕩せんとすれば則ち可なるも、此を以て樂と為せば則ち樂しからず。故に樂は愈々侈にして、民は愈々鬱し、國は愈々亂れ、主は愈々卑し。則ち亦た樂の情を失うなり。