史記 / 孫子呉起列伝
田文既死、公叔為相、尚魏公主、而害吳起。公叔之仆曰、起易去也。公叔曰、柰何。其仆曰、吳起為人節廉而自喜名也。君因先與武侯言曰、夫吳起賢人也、而侯之國小、又與彊秦壤界、臣竊恐起之無留心也。武侯即曰、柰何。君因謂武侯曰、試延以公主、起有留心則必受之、無留心則必辭矣、以此卜之。君因召吳起而與歸、即令公主怒而輕君。吳起見公主之賤君也、則必辭。於是吳起見公主之賤魏相、果辭魏武侯。武侯疑之而弗信也。吳起懼得罪、遂去、即之楚。
新字:田文既死、公叔為相、尚魏公主、而害吳起。公叔之仆曰、起易去也。公叔曰、柰何。其仆曰、吳起為人節廉而自喜名也。君因先与武侯言曰、夫吳起賢人也、而侯之国小、又与彊秦壤界、臣竊恐起之無留心也。武侯即曰、柰何。君因謂武侯曰、試延以公主、起有留心則必受之、無留心則必辞矣、以此卜之。君因召吳起而与帰、即令公主怒而軽君。吳起見公主之賤君也、則必辞。於是吳起見公主之賤魏相、果辞魏武侯。武侯疑之而弗信也。吳起懼得罪、遂去、即之楚。
書き下し
田文既に死し、公叔相と為り、魏の公主を尚りて呉起を害む。公叔の僕曰く、「起は去り易し」と。公叔曰く、「奈何」と。其の僕曰く、「呉起の人と為りは節廉にして自ら名を喜ぶなり。君因りて先づ武侯と言ひて曰へ、『夫れ呉起は賢人なり、而るに侯の国は小さく、又彊秦と壌を界す。臣窃かに起の留心無きを恐るるなり』と。武侯即ち『奈何』と曰はん。君因りて武侯に謂ひて曰へ、『試みに延くに公主を以てせよ。起、留心有らば則ち必ず之を受け、留心無からば則ち必ず辞せん。此れを以て之を卜せよ』と。君因りて呉起を召して与に帰り、即ち公主をして怒りて君を軽んぜしめよ。呉起、公主の君を賤しむを見れば、則ち必ず辞せん」と。是に於いて呉起、公主の魏の相を賤しむを見、果たして魏の武侯に辞す。武侯之を疑ひて信ぜず。呉起罪を得るを懼れ、遂に去りて即ち楚に之く。
現代語訳
田文が死ぬと、公叔が宰相となり、魏の公主を妻に迎えたが、呉起をうとましく思った。公叔の従者が「呉起を追い出すのは簡単です」と言った。公叔が「どうやって」と問うと、従者は言った。「呉起は節操堅く清廉で、名誉を重んじる人物です。まず殿が武侯にこう言ってください。『呉起は賢人ですが、わが国は小さく、強国の秦と境を接しています。呉起がここに留まる気がないのではと心配です』と。武侯が『どうすればよい』と問えば、こう答えてください。『試しに公主を妻に差し出してみてください。留まる気があれば必ず受け、なければ必ず断ります。これで見極められます』と。そのうえで殿は呉起を招いて一緒に帰り、公主にわざと怒って殿を軽んじさせなさい。呉起は公主が夫(宰相)を見下すのを見れば、必ず縁談を断ります」。こうして呉起は、公主が魏の宰相を見下す様子を見て、案の定、武侯の縁談を辞退した。武侯は呉起を疑って信用しなくなった。呉起は罪を得るのを恐れ、ついに魏を去って楚へ移った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・憲問篇公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰く、「夫子固より公伯寮に惑志有り。吾が力猶お能く諸を市朝に肆さん。」子曰く、「道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。」
-
論語・顔淵篇子張、明を問う。子曰く、「浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、明と謂う可きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、遠しと謂う可きのみ。」
-
説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
-
説苑・君道武王、太公に問いて曰く、「賢を挙げて以て危亡する者は何ぞや」と。太公曰く、「賢を挙げて用いざるは、是れ賢を挙ぐるの名有りて、真賢の実を得ざるなり」と。武王曰く、「其の失は安くにか在る」と。太公望曰く、「其の失は君の小善を用うるを好むのみに在りて、真賢を得ざるなり」と。武王曰く、「小善を用うるを好む者は何如」と。太公曰く、「君誉を聴くを好みて讒を悪まざれば、非賢を以て賢と為し、非善を以て善と為し、非忠を以て忠と為し、非信を以て信と為す。其の君誉を以て功と為し、毀を以て罪と為す。功有る者賞せられず、罪有る者罰せられず。党多き者進み、党少なき者退く。是を以て群臣比周して賢を蔽い、百吏党を群して姦多し。忠臣は誹りを以て罪無くして死し、邪臣は誉を以て功無くして賞せらる。其の国危亡に見る」と。武王曰く、「善し、吾今日誹誉の情を聞けり」と。
-
史記 司馬穰苴列伝已にして大夫鮑氏・高・国の属之を害み、景公に譖る。景公、穰苴を退く。苴、疾を発して死す。田乞・田豹の徒、此れに由り高・国等を怨む。其の後、田常の簡公を殺すに及び、尽く高子・国子の族を滅ぼす。常の曾孫和に至り、因りて自立して斉の威王と為り、兵を用ゐ威を行ふに、大いに穰苴の法に放ひ、而して諸侯斉に朝す。
-
史記 老子韓非列伝人或いは其の書を伝へて秦に至る。秦王、孤憤・五蠹の書を見て曰く、「嗟乎、寡人此の人を見、之と游ぶを得ば、死すとも恨みじ」と。李斯曰く、「此れ韓非の著す所の書なり」と。秦因りて急に韓を攻む。韓王、始め非を用ゐず、急なるに及び、乃ち非を遣り秦に使ひせしむ。秦王之を悦ぶも、未だ信用せず。李斯・姚賈之を害み、之を毀りて曰く、「韓非は韓の諸公子なり。今王、諸侯を并せんと欲するに、非は終に韓の為にして秦の為にせず、此れ人の情なり。今王用ゐずして久しく留めて之を帰すは、此れ自ら患ひを遺すなり。過法を以て之を誅するに如かず」と。秦王、以て然りと為し、吏に下して非を治む。李斯、人をして非に薬を遺らしめ、自殺せしむ。韓非、自ら陳べんと欲するも、見ゆるを得ず。秦王後に之を悔い、人をして之を赦さしむるに、非已に死せり。申子・韓子皆書を著し、後世に伝はり、学ぶ者多く有り。余独り韓子の説難を為りて自ら脱する能はざりしを悲しむのみ。