呂氏春秋 / 適音①
耳之情欲聲,心不樂,五音在前弗聽。目之情欲色,心弗樂,五色在前弗視。鼻之情欲芬香,心弗樂,芬香在前弗嗅。口之情欲滋味,心弗樂,五味在前弗食。欲之者,耳目鼻口也;樂之弗樂者,心也。心必和平然後樂,心必樂然後耳目鼻口有以欲之,故樂之務在於和心,和心在於行適。
新字:耳之情欲声,心不楽,五音在前弗聴。目之情欲色,心弗楽,五色在前弗視。鼻之情欲芬香,心弗楽,芬香在前弗嗅。口之情欲滋味,心弗楽,五味在前弗食。欲之者,耳目鼻口也;楽之弗楽者,心也。心必和平然後楽,心必楽然後耳目鼻口有以欲之,故楽之務在於和心,和心在於行適。
書き下し
耳の情は聲を欲するも、心樂しまざれば、五音前に在れども聽かず。目の情は色を欲するも、心樂しまざれば、五色前に在れども視ず。鼻の情は芬香を欲するも、心樂しまざれば、芬香前に在れども嗅がず。口の情は滋味を欲するも、心樂しまざれば、五味前に在れども食らわず。之を欲する者は、耳目鼻口なり。之を樂しみ樂しまざる者は、心なり。心必ず和平にして、然る後に樂しみ、心必ず樂しみて、然る後に耳目鼻口、以て之を欲する有り。故に樂の務めは心を和らぐに在り。心を和らぐは適を行うに在り。
現代語訳
耳は本来、音を聞きたがるが、心が楽しまなければ、五音が目の前にあっても聞こえない。目は色を見たがるが、心が楽しまなければ、五色が目の前にあっても見えない。鼻は良い香りをかぎたがるが、心が楽しまなければ、香りが目の前にあってもかがない。口は美味を味わいたがるが、心が楽しまなければ、五味が目の前にあっても食べない。欲するのは耳・目・鼻・口であり、それを楽しむか楽しまないかを決めるのは心である。心が必ず和やかで平らかになってはじめて楽しみ、心が必ず楽しんではじめて耳目鼻口はそれを欲することができる。だから音楽の要は心を和らげることにあり、心を和らげることはほどよさ(適)を行うことにある。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』上卷之末主君の臣下をさしつかふはたとへば磁石のはりをすふが如し火はかはけるにつき、水はうるおへるにながるゝことわりなれば、磁石のくろがねならではすはざる如く、主君の心とおなじき人ならではつかひ給はぬものなり、心の暗き主君は、何程よきさぶらいをあつめおきてもそれをばもちひず、只君の心にひとしく暗きくせものばかりをさしつかひ給ふものなり、しかるゆへによきさぶらいその家中にありてもなきに同じ、主君の心あきらかなれば、その心によく叶ひたるよき士ならではさしつかひ給はぬゆへにくせものも欲にふけり悪をはぢて、いつとなくよくなるものなればあしきくせもの其家中にありても、なきに等し、臣下のよきもあしきも国のみだるゝもおさまるも、畢竟主君の心ひとつにあり、まことにこゝろざしあるべき事にて候。
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『驢鞍橋』卷中同録に。古人云く。心は万境に随つて転ず。転ずる処実に能く幽なり。流れに随つて性を認得すれば、喜も無く亦憂も無し。一僧云ふ、随流認得性と云ふは、人我を打つとも、腹たつ道理なし。欲心起るも、他の物を取るへき道理なしと、急度其性を認得する義なりや。師云はく、其義に非す。随流認得性と云ふは、ほしければとり、はれははつたまでよ、如是随流働き、万境に転したか、何ん共なき境界也。是れ凡夫心の沙汰に非す、熟した心の沙汰也。今様の誵訛さへ知りめされすと也。
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