呂氏春秋 / 忠廉②
吳王欲殺王子慶忌而莫之能殺,吳王患之。要離曰:“臣能之。”吳王曰:“汝惡能乎?吾嘗以六馬逐之江上矣,而不能及;射之矢,左右滿把,而不能中。今汝拔劍則不能舉臂,上車則不能登軾,汝惡能?”要離曰:“士患不勇耳,奚患於不能?王誠能助,臣請必能。”吳王曰:“諾。”明旦加要離罪焉,摯執妻子,焚之而揚其灰。要離走,往見王子慶忌於衛。王子慶忌喜曰:“吳王之無道也,子之所見也,諸侯之所知也,今子得免而去之亦善矣。”要離與王子慶忌居有間,謂王子慶忌曰:“吳之無道也愈甚,請與王子往奪之國。”王子慶忌曰:“善。”乃與要離俱涉於江。中江,拔劍以刺王子慶忌,王子慶忌捽之,投之於江,浮則又取而投之,如此者三。其卒曰:“汝天下之國士也,幸汝以成而名。”要離得不死,歸於吳。吳王大說,請與分國。要離曰:“不可。臣請必死。”吳王止之。要離曰:“夫殺妻子焚之而揚其灰,以便事也,臣以為不仁。夫為故主殺新主,臣以為不義。夫捽而浮乎江,三入三出,特王子慶忌為之賜而不殺耳,臣已為辱矣。夫不仁不義,又且已辱,不可以生。”吳王不能止,果伏劍而死。要離可謂不為賞動矣。故臨大利而不易其義,可謂廉矣。廉故不以貴富而忘其辱。
新字:呉王欲殺王子慶忌而莫之能殺,呉王患之。要離曰:“臣能之。”呉王曰:“汝悪能乎?吾嘗以六馬逐之江上矣,而不能及;射之矢,左右満把,而不能中。今汝抜剣則不能舉臂,上車則不能登軾,汝悪能?”要離曰:“士患不勇耳,奚患於不能?王誠能助,臣請必能。”呉王曰:“諾。”明旦加要離罪焉,摯執妻子,焚之而揚其灰。要離走,往見王子慶忌於衛。王子慶忌喜曰:“呉王之無道也,子之所見也,諸侯之所知也,今子得免而去之亦善矣。”要離与王子慶忌居有間,謂王子慶忌曰:“呉之無道也愈甚,請与王子往奪之国。”王子慶忌曰:“善。”乃与要離倶渉於江。中江,抜剣以刺王子慶忌,王子慶忌捽之,投之於江,浮則又取而投之,如此者三。其卒曰:“汝天下之国士也,幸汝以成而名。”要離得不死,帰於呉。呉王大説,請与分国。要離曰:“不可。臣請必死。”呉王止之。要離曰:“夫殺妻子焚之而揚其灰,以便事也,臣以為不仁。夫為故主殺新主,臣以為不義。夫捽而浮乎江,三入三出,特王子慶忌為之賜而不殺耳,臣已為辱矣。夫不仁不義,又且已辱,不可以生。”呉王不能止,果伏剣而死。要離可謂不為賞動矣。故臨大利而不易其義,可謂廉矣。廉故不以貴富而忘其辱。
書き下し
呉王、王子慶忌を殺さんと欲すれども、之を能く殺すもの莫し。吳王之を患う。要離曰く、「臣之を能くせん。」呉王曰く、「汝惡くんぞ能くせんや。吾嘗て六馬を以て之を江上に逐えども、及ぶこと能わず。之を射て、矢左右把に滿ちたれども、中つること能わず。今、汝劍を抜けば、則ち臂を舉ぐること能わず、車に上れば、則ち軾に登ること能わず。汝惡くんぞ能くせん。」要離曰く、「士、勇ならざるを患うるのみ。奚ぞ能くせざるを患えん。王誠に能く助けば、臣請う必ず能くせん。」呉王曰く、「諾。」明旦、要離に罪を加えて、妻子を摯執し、之を焚きて其の灰を揚ぐ。要離走り、往きて王子慶忌に衛に見ゆ。王子慶忌喜びて曰く、「呉王の無道なるや、子の見る所なり。諸侯の知る所なり。今、子免るるを得て之を去るも亦た善きかな。」要離、王子慶忌と居ること間有り。王子慶忌に謂いて曰く、「呉の無道なるや、愈々甚だし。請う王子と與に往きて之が國を奪わん。」王子慶忌曰く、「善し。」乃ち要離と俱に江を渉る。中江にして、劍を抜きて以て王子慶忌を刺す。王子慶忌之を捽し、之を江に投ず。浮かべば則ち又取りて之を投ず。此くの如くすること三たび。其の卒りに曰く、「汝は天下の國士なり。汝を幸かして以て而が名を成さん。」要離死せざるを得て、呉に歸る。吳王大いに悅び、與に國を分たんことを請う。要離曰く、「不可なり。臣請う必ず死せん。」吳王之を止む。要離曰く、「夫れ妻子を殺し之を焚き、而して其の灰を揚げしは、以て事に便ずればなり。臣以て不仁と為す。夫れ故主の為に新主を殺さんとせしは、臣以て不義と為す。夫れ捽せられて江に浮かび、三たび入りて三たび出づるは、特だ王子慶忌之が賜を為して殺さざりしのみ。臣已に辱と為せり。夫れ不仁不義にして、又且つ已に辱めらる。以て生く可からず。」呉王止むること能わず。果して劍に伏して死す。要離は賞の為に動かずと謂う可し。故に大利に臨みて其の義を易えず。廉と謂う可し。廉なるが故に貴富を以て其の辱を忘れざるなり。
現代語訳
呉王が王子慶忌を殺そうとしましたが、それを果たせる者がいませんでした。呉王はこれを憂えました。要離が「私にできます」と言いました。呉王は言いました、「お前にどうしてできようか。私はかつて六頭立ての馬で慶忌を川辺に追ったが追いつけず、彼を射て両手いっぱいの矢を放ったが当てられなかった。いまお前は剣を抜けば腕も上がらず、車に乗れば手すりにも登れぬ。お前にどうしてできようか」。要離は言いました、「士はただ勇のないことを憂うのみ。どうしてできないことを憂えましょう。王が本当に助けてくださるなら、必ずやり遂げてみせます」。呉王は「よし」と言いました。翌朝、呉王は要離に罪を着せ、妻子を捕らえて焼き、その灰をまき散らしました。要離は逃げ、衛に王子慶忌を訪ねました。慶忌は喜んで言いました、「呉王の無道は、あなたの見た通り、諸侯の知る通りだ。今あなたが難を逃れて去ってきたのもよいことだ」。要離は慶忌としばらく過ごし、慶忌に言いました、「呉の無道はますますひどい。どうか王子とご一緒に攻め入り、その国を奪いましょう」。慶忌は「よし」と言いました。そこで要離とともに川を渡りました。川の中ほどで、要離は剣を抜いて慶忌を刺しました。慶忌は要離の髪をつかんで川に投げ入れ、浮き上がるとまた取って投げ、こうすること三度に及びました。最後に言いました、「お前は天下の国士だ。お前を生かして、お前の名を成させてやろう」。要離は死なずにすんで呉に帰りました。呉王は大いに喜び、国を分け与えようと言いました。要離は「いけません。私は必ず死にます」と言いました。呉王が止めると、要離は言いました、「そもそも妻子を殺して焼き、灰をまき散らしたのは、事を成す便のためでした。私はこれを不仁と考えます。旧主のために新主を殺そうとしたのは、私はこれを不義と考えます。髪をつかまれて川に浮かび、三度沈み三度浮いたのは、ただ慶忌が恩を施して殺さなかっただけのこと。私はすでに恥辱を受けたのです。不仁不義であって、そのうえすでに辱められた。これでは生きていられません」。呉王は止められず、要離はついに剣に伏して死にました。要離は恩賞に心を動かされなかったと言えます。ですから大きな利益を前にしても義を変えなかった、廉と言えます。廉であるから、富貴のために自分の恥辱を忘れなかったのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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『五常訓』巻之四・義一中庸曰く、義は宜なり、賢を尊ぶを大なりと為す。朱子章句に云く、宜とは事理を分別して、各宜しき所有るなり。周子も、宜を義と曰ふ。釈名曰く、義は宜なり、事物を裁制して、宜しきに合はしむるなり。諸説皆宜しきを以て義とす。宜しきとは、万事万物の品にしたがひ、其理をわきまへて、相応するを云ふ。朱子は、義は心の制、事の宜といへり。制とは、たちわかつ意。裁判するなり。心の制とは、心中に善悪をわかつ所の理あるを云ふ。義の心にあるは、利刀の如し。物来れば、刀を以てたてば二となる。善悪を決断する事、かくの如し。是心の制なり。義の体とす。事之宜とは、諸事に相応して、其理の宜しきにしたがふを云ふ。是義の用とす。事之宜は、心の制ありて、善悪をたちわかちて後の事なり。人を愛するは仁なり。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一君子の道は、すべき事を行ひ、すまじき事をせず。これ義なり。好むべき事を好み、好むまじき事を好まず。是善なり。君子の道はかくの如きのみ。是孟子の語意なり。一人の知は目のごとし。人の目はよく百里の外を見れども、わが睫を見がたし。人の智よく他人の悪を知れども、わが身の悪を知らず。人をみることは常に明なり。私なければなり。自ら見ることは常にくらし。私あればなり。ここを以て、人の過をせむる事はきびしく、わが悪をゆるす事はゆるやかなり。
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『五常訓』巻之四・義是行ふ所は善にして、王道に似たれども、内心には、国土を得んと思へる利欲ありて、偽て仁義を行へるなり。是を覇道と云ふ。斉の桓公、晋の文公などの行へるわざなり。是亦義と利とのわかちなり。学者のなす所も、是に同じ。孔子曰く、古の学者は己の為にす。是ひとへに、身ををさめん為にせし学問にて、義なり。又曰く、今の学者は人の為にす。是人にほめられ、名を得んためにする学問なれば、利なり。しかれば、王伯のわかちも、君子小人の分も、学問の実否も、皆義と利との二よりわかる。
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『春秋左氏伝』昭公三年 趙文子、州を取らず夏、四月、鄭伯晉に如く。公孫段相たり。甚だ敬にして卑し、禮違ふ者無し。晉侯焉を嘉し、之に授くるに策を以ってして曰く、「子豐晉國に勞有り。余聞きて忘れず。女に州の田を賜ひ、以って乃(なんぢ)の舊勳に胙(むく)いん」と。伯石再拜稽首し、策を受けて以って出づ。君子曰く、「禮は其れ人の急なるか。伯石の汏(おご)れるや、一たび晉に禮を為して、猶ほ其の祿を荷ふ。況んや禮を以って終始するをや。詩に曰く、『人にして禮無くんば、胡ぞ遄やかに死せざる』と。其れ是を之れ謂ふか」と。初め、州縣は欒豹の邑なり。欒氏亡ぶるに及び、范宣子・趙文子・韓宣子、皆之を欲す。文子曰く、「溫は吾が縣なり」と。二宣子曰く、「郤稱より以って別れて三傳す。晉の別縣は、唯だ州のみならず。誰か獲て之を治めん」と。文子之を病み、乃ち之を舍つ。二子曰く、「吾以って正議して自ら與ふ可からず」と。皆之を舍つ。文子政を為すに及び、趙獲曰く、「以って州を取る可し」と。文子曰く、「退け。二子の言は義なり。義に違ふは禍なり。余は余が縣を治むる能はず、又焉んぞ州を用ゐん。其れ以って禍を徼(まね)かん。君子曰く、『知らざるは實に難し。知りて從はざるは、禍焉より大なるは莫し』と。州を言ふ有らば必ず死せん」と。豐氏は故(もと)より韓氏に主たり。伯石の州を獲るや、韓宣子之が為に之を請ふ。其の復た之を取るが為の故なり。
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。

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