葉隠 / 聞書第二
御留守居二度の口達。主人にも何氣もなく思はれては、大事の奉公はされぬものなり。此のあたり一心の覺悟にて顯るゝなり。御叱りの時は、御惡口のみ仰出でられ候へども、終に御惡口に逢ひ申さず候。若殿様は主人を見限りさうなる者と度々御意なされ、本望と存居り候。光茂公御卒去の時分などは、我等申上げ候事は少しも御疑ひとれなく候由。
新字:御留守居二度の口達。主人にも何気もなく思はれては、大事の奉公はされぬものなり。此のあたり一心の覚悟にて顕るゝなり。御叱りの時は、御悪口のみ仰出でられ候へども、終に御悪口に逢ひ申さず候。若殿様は主人を見限りさうなる者と度々御意なされ、本望と存居り候。光茂公御卒去の時分などは、我等申上げ候事は少しも御疑ひとれなく候由。
書き下し
御留守居(おるすい)二度の口達(くたつ)。主人にも何気(なにげ)もなく思はれては、大事の奉公はされぬものなり。此のあたり一心(いっしん)の覚悟にて顕(あらわ)るるなり。御叱(おしか)りの時は、御悪口(ごあっこう)のみ仰出(おおせい)でられ候へども、終(つい)に御悪口に逢ひ申さず候。若殿様(わかとのさま)は「主人を見限りさうなる者」と度々(たびたび)御意(ぎょい)なされ、本望(ほんもう)と存じ居り候。光茂公(みつしげこう)御卒去(ごそっきょ)の時分などは、我等(われら)申し上げ候事は少しも御疑(おうたが)ひとれなく候由。
現代語訳
御留守居役として二度にわたって申し渡されたこと。主君からなおざりに軽く思われているようでは、大事な奉公はできないものだ。この違いは、ひとえに一心の覚悟によって表れてくる。お叱りのときには悪しざまに言われることもあったが、結局のところ本気の悪口を浴びせられたことはなかった。若殿様はしばしば「あの者は主君を見限りかねぬ者だ」と仰せになったが、私はそれをむしろ本望と思っている。光茂公がお亡くなりになる頃などは、私が申し上げることには少しの疑いもお持ちにならなかったという。
解説
主君との信頼は「一心の覚悟」から生まれる、と説く一条です。なおざりに軽く見られているようでは大事は任せてもらえない。その差を分けるのは、命がけの本気の覚悟だといいます。興味深いのは「主君を見限りかねぬ者」と評されたのを本望と受けとめる点で、これは主君に迎合してご機嫌をとるのではなく、いざとなれば諫言も辞さぬ気概があってこそ、かえって深く信頼されるという逆説を示しています。追従ではなく筋を通す覚悟が、真の信頼を築く——媚びない誠実さが人を動かすという教えは、上下関係を超えて現代の仕事の信頼関係にも通じます。
この章句が説くこと
葉隠覚悟信頼奉公諫言媚びない誠実
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