論語 / 雍也篇
子曰:「齊一變,至於魯;魯一變,至於道。」
新字:子曰:「斉一変,至於魯;魯一変,至於道。」
書き下し
子曰く、斉一たび変ぜば、魯に至らん。魯一たび変ぜば、道に至らん。
現代語訳
先生がおっしゃった。「斉の国が一度変われば、魯の国のようになるだろう。魯の国が一度変われば、(正しい)道にかなう国になるだろう。」
解説
当時の斉は富国強兵で先を行く大国、魯は小さく古い礼を守る国だった。国力で言えば斉が上である。それでも孔子は、斉は一段変わってようやく魯に並ぶと言った。評価の軸が、規模や勢いではなく、道への距離に置かれているからである。強い国ほど道から遠く、弱い国のほうが近い、という逆転がここで示されている。事業を見る目として応用が利く。売上や成長率で並べると順位は一つに定まるが、理念や本質にどれだけ近いかで並べると順位は変わる。どちらの順位表を持っているかで、経営判断は変わってくる。もう一つ大事なのは、孔子が魯についても「変われば」と条件を付けたことだ。近いことと到達していることは違う。近い側にいる者ほど、あと一歩を怠りやすい。
この章句が説くこと
国家観水準道比較一歩
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