孔子家語 / 冠頌
懿子曰:「天子未冠即位。長亦冠也?」孔子曰:「古者王世子雖幼,其即位則尊為人君。人君治成人之事者,何冠之有?」
書き下し
懿子曰く、「天子未だ冠せずして位に即けば、長ずるも亦冠するや。」孔子曰く、「古は王世子幼しと雖も、其の即位すれば則ち尊びて人君と為す。人君は成人の事を治むる者なり、何ぞ冠する有らんや。」
現代語訳
懿子が尋ねた。「天子がまだ元服せずに即位した場合、成長してから改めて元服するのでしょうか。」孔子は答えた。「昔は、王の世継ぎが幼くても、即位すればそれだけで尊ばれて君主とされた。君主とはすでに成人としての政務を行う者であるから、あらためて元服するということはないのだ。」
解説
幼くして即位した天子は、その瞬間からすでに「成人としての政務を行う者」とみなされるため、改めて元服の儀式を行う必要はないと孔子は説きます。これは地位や役割が人を成人として扱うことを示す考え方で、年齢という形式よりも、担っている責任の実質が人の成熟を決めるという発想です。現代でも、若くして重い責任を任された人が、その役割を通じて急速に成長する場面は少なくありません。地位が人を育てるという逆説的な真理を示す一節といえます。

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即位元服君主年齢責任
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