呻吟語 / 外篇・詞章・太玄は終身看ざるも亦た可なり
《太玄》雖終身不看亦可。
書き下し
『太玄』は終身看ざると雖も亦た可なり。
現代語訳
太玄経は、生涯見なくてもかまいません。
解説
揚雄の太玄経を、読まなくてよいと切り捨てます。易に似せて作られた書で、難解さで知られます。前に出てきた、難解な文体は道の賊だという段と、模倣を糟粕を盗むことだという段の、両方に当てはまるからでしょう。名の高い書でも要らないと言い切る形で、選書の基準が実例で示された短い一段になっています。名の高い書でも要らないと、言い切る形です。選書の基準が、実例で示された短い一段になっています。
この章句が説くこと
太玄選書難解模倣切り捨て
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