呻吟語 / 外篇・品藻・漢儒は道を雜へ、宋儒は道を隘くす
漢儒雜道,宋儒隘道。宋儒自有宋儒局面,學者若入道,且休著宋儒橫其胸中,只讀六經四書而體玩之,久久胸次自是不同。若看宋儒,先看濂溪、明道。
新字:漢儒雑道,宋儒隘道。宋儒自有宋儒局面,学者若入道,且休著宋儒横其胸中,只読六経四書而体玩之,久久胸次自是不同。若看宋儒,先看濂渓、明道。
書き下し
漢儒は道を雜へ、宋儒は道を隘くす。宋儒は自ら宋儒の局面有り。學者若し道に入らば、且く宋儒を著けて其の胸中に橫たへしむるを休め。只だ六經四書を讀みて之を體玩せば、久久にして胸次自ら是れ同じからず。若し宋儒を看ば、先づ濂溪・明道を看よ。
現代語訳
漢の儒者は道に雑物を混ぜ、宋の儒者は道を狭くしました。宋の儒者には宋の儒者なりの枠組みがあります。学ぶ者がもし道に入ろうとするなら、しばらく宋の儒者を胸の中に横たえておくのはやめなさい。ただ六経と四書を読んで味わえば、長く続けるうちに胸の内が自ずと変わります。もし宋の儒者を読むなら、まず周敦頤と程明道から読みなさい。
解説
漢儒と宋儒を、それぞれ雑と狭で批判します。そして注釈を通さず原典を直に読めと勧めます。宋儒を胸に置いたまま読むなという言い方が具体的です。ただし最後に、読むなら周敦頤と程明道からと順序まで示す。否定しきらずに順路を示すところが親切で、読書の道筋を与えた一段になっています。否定しきらずに順路を示すところが、親切な一段です。
この章句が説くこと
漢儒宋儒注釈原典順路
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