呻吟語 / 外篇・詞章・文は以て道を載す
擬韓臨柳,效馬學班,代相祖述,竊其糟粕,謬矣。夫文以載道也,苟文足以明道,謂吾之文為六經可也。何也?與六經不相叛也。否則,發明申、韓之學術,飾以六經之文法,有道君子以之覆瓿矣。
新字:擬韓臨柳,効馬学班,代相祖述,竊其糟粕,謬矣。夫文以載道也,苟文足以明道,謂吾之文為六経可也。何也?与六経不相叛也。否則,発明申、韓之学術,飾以六経之文法,有道君子以之覆瓿矣。
書き下し
韓を擬し柳に臨み、馬に效ひ班に學び、代相ひ祖述して、其の糟粕を竊むは、謬れり。夫れ文は以て道を載するなり。苟しくも文以て道を明らかにするに足らば、吾が文を謂ひて六經と為すも可なり。何ぞや。六經と相ひ叛かざればなり。否らずんば、申・韓の學術を發明して、飾るに六經の文法を以てす。道有る君子は之を以て瓿を覆はん。
現代語訳
韓愈に似せ柳宗元に倣い、司馬遷に効い班固に学び、代々受け継いで、その糟や粕を盗むのは誤りです。文は道を載せるものです。もし文が道を明らかにするに足りるなら、自分の文を六経と呼んでもよい。なぜか。六経と背かないからです。そうでなければ、申不害や韓非の学術を説き明かして、六経の文法で飾るだけです。道のある君子は、それで瓶の蓋にするでしょう。
解説
名文家の模倣を、糟や粕を盗むことだと断じます。文の価値は載せる道にあるからです。だから道を明らかにできるなら、自分の文を六経と呼んでもよいとまで言われます。逆に、中身が別の学術なら六経風に飾っても瓶の蓋にしかなりません。形式ではなく中身で測るという、詞章篇の基準が定められた一段です。形式ではなく中身で測る、という基準が定まります。
この章句が説くこと
模倣載道六経中身飾り
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