呻吟語 / 外篇・詞章・真字と草字
真字要如聖人燕居危坐,端莊而和氣自在,草字要如聖人應物,進退存亡,辭受取予,變化不測,因事異施而不失其中。
新字:真字要如聖人燕居危坐,端荘而和気自在,草字要如聖人応物,進退存亡,辞受取予,変化不測,因事異施而不失其中。
書き下し
真字は聖人の燕居危坐して、端莊にして和氣自ら在るが如くならんことを要す。草字は聖人の物に應じ、進退存亡、辭受取予、變化測られず、事に因りて施しを異にして其の中を失はざるが如くならんことを要す。
現代語訳
楷書は、聖人がくつろいで正しく坐り、端正で厳かでありながら和やかな気が自ずとあるようであるべきです。草書は、聖人が物に応じて、進むか退くか存るか亡ぶか、辞退するか受けるか取るか与えるか、変化が測れず、事によって施しを変えながら中を失わないようであるべきです。
解説
二つの書体を、聖人の二つの姿になぞらえます。楷書は静かに坐った姿で、端正でありながら和やかさが自ずとある。草書は物に応じて動く姿で、変化が測れないのに中を失いません。どちらも形の話ではなく、緊張と柔らかさの同居という点で共通しています。書を人の在り方として読んだ一段です。緊張と柔らかさの同居という点で、共通しています。書を人の在り方として読んだ、面白い一段です。
この章句が説くこと
真書草書端荘変化中
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