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呻吟語 / 内篇・修身・敬は肆に對して言ふ

敬對肆而言。敬是一步一步收斂向內,收斂至無內處,發出來自然暢四肢,發事業,瀰漫六合;肆是一步一步放縱外面去,肆之流禍不言可知。所以千古聖人只一敬字為允執的關捩子。堯欽明允恭,舜溫恭允塞,禹之安汝止,湯之聖敬日躋,文之朗恭,武之敬勝,孔於之恭而安。講學家不講這個,不知怎麼做工夫。

新字:敬対肆而言。敬是一歩一歩収斂向内,収斂至無内処,発出来自然暢四肢,発事業,瀰漫六合;肆是一歩一歩放縦外面去,肆之流禍不言可知。所以千古聖人只一敬字為允執的関捩子。堯欽明允恭,舜温恭允塞,禹之安汝止,湯之聖敬日躋,文之朗恭,武之敬勝,孔於之恭而安。講学家不講這個,不知怎麼做工夫。

書き下し

敬は肆に對して言ふ。敬は是れ一步一步收斂して內に向かひ、收斂して無內の處に至れば、發出し來たりて自然に四肢に暢び、事業を發し、六合に瀰漫す。肆は是れ一步一步放縱して外面に去る。肆の流禍は言はずして知る可し。所以に千古の聖人は只だ一の敬の字を允執の關捩子と為す。堯は欽明允恭、舜は溫恭允塞、禹は汝が止に安んじ、湯は聖敬日に躋り、文は朗恭、武は敬勝、孔子は恭にして安し。講學家此れを講ぜずんば、知らず怎麼にか工夫を做さん。

現代語訳

敬は放縦と対にして言われます。敬は一歩ずつ内へ引き締めていき、引き締めて内側の果てまで至れば、そこから発して自然に四肢に伸び、事業となって天地の六方に満ちます。放縦は一歩ずつ外へ放たれていくことで、その行き着く禍は言わずとも分かります。だから千年来の聖人は、ただ敬の一字を中を執る要の留め金としました。堯は慎み明らかで恭しく、舜は温かく恭しく、禹はとどまるところに安んじ、湯は聖なる敬が日ごとに高まり、文王は明るく恭しく、武王は敬が勝り、孔子は恭しくして安らかでした。学を講じる者がこれを講じないなら、いったいどこで工夫をするのでしょうか。

解説

敬と放縦を、内へ向かう運動と外へ向かう運動として描きます。敬は縮んでいくのに、果てまで縮むと逆に天地に満ちる。この反転が面白いところで、引き締めが萎縮ではなく力の蓄えだと分かります。そして歴代の聖人を並べ、全員が敬の一字で説明できると示す。敬を聖学の要とするこの書の立場が、最も詳しく述べられた一段です。

この章句が説くこと

放縦内向聖人

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