呻吟語 / 外篇・聖賢・性の聖人と反の聖人
性之聖人,只是個與理相忘,與道為體,不待思,惟橫行直撞,恰與時中吻合。反之,聖人常常小心,循規蹈矩,前望後顧,才執得中字,稍放鬆便有過不及之差。是以希聖君子心上無一時任情恣意處。
新字:性之聖人,只是個与理相忘,与道為体,不待思,惟横行直撞,恰与時中吻合。反之,聖人常常小心,循規蹈矩,前望後顧,才執得中字,稍放鬆便有過不及之差。是以希聖君子心上無一時任情恣意処。
書き下し
性の聖人は、只だ是れ個の理と相忘れ、道と體を為し、思を待たず。惟だ橫行直撞して、恰も時中と吻合す。反の聖人は、常常小心に規を循ひ矩を蹈み、前に望み後を顧みて、才かに中の字を執り得。稍しく放鬆すれば便ち過不及の差有り。是を以て聖を希ふ君子は心上に一時も情に任せ意を恣にする處無し。
現代語訳
生まれつきの聖人は、理と互いに忘れ合い、道と一体になっていて、考える必要がありません。ただ横に行き真っ直ぐに突き進むだけで、ちょうど時にかなった中にぴたりと合います。立ち返ってなる聖人は、いつも小心に規を守り矩を踏み、前を望み後ろを顧みて、ようやく中の一字を握れます。少し緩めれば行きすぎか足りなさの差が出ます。だから聖人を希う君子は、心に一時も情に任せ意をほしいままにするところがありません。
解説
生まれつきの聖人と、努力でなる聖人を分けます。前者は考えずに当たり、後者は小心に規を守ってようやく当たる。そして自分たちは後者だとし、だから一瞬も緩められないと結びます。前者を目標に掲げず、後者の道を具体的に示すところが実際的で、希聖の道筋が定まる一段になっています。希聖の道筋が、ここで具体的に定まることになります。
この章句が説くこと
聖人生知学知中緊張
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