呻吟語 / 外篇・詞章・六經の文は相ひ師とせず
六經之文不相師也,而後世不敢軒輊。後之為文者,吾惑矣。
新字:六経之文不相師也,而後世不敢軒輊。後之為文者,吾惑矣。
書き下し
六經の文は相ひ師とせざるなり。而して後世は敢へて軒輊せず。後の文を為る者は、吾惑ふ。
現代語訳
六経の文は互いを手本にしていません。それでも後の世は優劣をつけようとしません。後の世で文を作る者については、私は戸惑います。
解説
詞章篇の冒頭に、六経の文体が互いに似ていないことを置きます。それでも誰も優劣をつけません。文体の違いが価値の差にならないということです。そして後の世の文について戸惑うと言われます。次の段で、その戸惑いの中身が説明されます。手本を真似ることへの疑問が、経書の事実から立てられた一段です。手本を真似ることへの疑問が、経書から立てられます。
この章句が説くこと
六経文体不一致優劣手本
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