呻吟語 / 外篇・廣喻・豈に形を以て心を論ず可けんや
喜者大笑,而怒者亦大笑;哀者痛哭,而樂者亦痛哭;歡暢者歌,而憂思者亦歌;逃亡者走,而追逐者亦走。豈可以形論心哉。
新字:喜者大笑,而怒者亦大笑;哀者痛哭,而楽者亦痛哭;歓暢者歌,而憂思者亦歌;逃亡者走,而追逐者亦走。豈可以形論心哉。
書き下し
喜ぶ者は大笑し、而して怒る者も亦た大笑す。哀しむ者は痛哭し、而して樂しむ者も亦た痛哭す。歡暢なる者は歌ひ、而して憂思する者も亦た歌ふ。逃亡する者は走り、而して追逐する者も亦た走る。豈に形を以て心を論ず可けんや。
現代語訳
喜ぶ者は大笑いし、怒る者も大笑いします。哀しむ者は激しく泣き、楽しむ者も激しく泣きます。心が晴れやかな者は歌い、憂え思う者も歌います。逃げる者は走り、追う者も走ります。どうして形で心を論じられるでしょうか。
解説
同じ振る舞いが正反対の心から出ることを、四つ並べます。笑い、泣き、歌、走り。どれも二通りの心があり得ます。だから見た目で心を判断できません。最後の反問が結論です。前に出てきた、跡が良くても心が悪い場合があるという段と同じ主張が、日常の動作で示された一段になっています。見た目で心を判断できない、という結論です。同じ振る舞いが、正反対の心から出てくるからです。
この章句が説くこと
笑泣歌走同形異心判断
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