呻吟語 / 外篇・廣喻・聖人は疾垢の海なり
萬水自發源處入百川,容不得,入江、淮、河、漢,容不得,直流至海,則浩浩恢恢,不知江、淮幾時入,河、漢何處來,兼收而並容之矣。閒雜懊惱,無端謗讟,償來橫逆,加之眾人,不受,加之賢人,不受,加之聖人,則了不見其辭色,自有道以處之。故聖人者,疾垢之海也。
新字:万水自発源処入百川,容不得,入江、淮、河、漢,容不得,直流至海,則浩浩恢恢,不知江、淮幾時入,河、漢何処来,兼収而並容之矣。閒雑懊悩,無端謗讟,償来横逆,加之眾人,不受,加之賢人,不受,加之聖人,則了不見其辞色,自有道以処之。故聖人者,疾垢之海也。
書き下し
萬水の發源する處より百川に入るは、容れ得ず。江・淮・河・漢に入るも、容れ得ず。直ちに流れて海に至れば、則ち浩浩恢恢として、江・淮の幾時にか入り、河・漢の何處より來たるかを知らず。兼ね收めて並び之を容る。閒雜懊惱、無端の謗讟、償來の橫逆は、之を眾人に加ふれば受けず、之を賢人に加ふれば受けず、之を聖人に加ふれば、則ち了に其の辭色を見ず。自ら道有りて以て之に處す。故に聖人とは、疾垢の海なり。
現代語訳
万の水が源から出て百の川に入るのは、容れきれません。長江や淮や黄河や漢水に入っても、容れきれません。まっすぐ流れて海に至れば、広々として、長江や淮がいつ入り、黄河や漢水がどこから来たか分かりません。すべてを兼ね収めて並べて容れます。取るに足らない苛立ち、根拠の無いそしり、降りかかる理不尽は、大勢の人に加えれば受け入れられず、賢人に加えても受け入れられず、聖人に加えれば、まったくその言葉にも顔色にも出ません。自ら道があってそれに処するからです。だから聖人とは、病と汚れの海です。
解説
川から海までの段階を、容れられる量として示します。百川では容れきれず、大河でも容れきれず、海に至って初めてどこから来たか分からなくなります。そして人に当てはめられ、そしりや理不尽を受ける器が三段で示されます。大勢、賢人、聖人。聖人だけが言葉にも顔色にも出しません。器の大きさを、水系の規模で表した一段です。
この章句が説くこと
百川海器そしり三段
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