呻吟語 / 内篇・應務・己は與らざるなり
聖人處事,如日月之四照,隨物為影;如水之四流,隨地成形,己不與也。
新字:聖人処事,如日月之四照,随物為影;如水之四流,随地成形,己不与也。
書き下し
聖人の事に處するは、日月の四照するが如く、物に隨ひて影を為す。水の四流するが如く、地に隨ひて形を成す。己は與らざるなり。
現代語訳
聖人が事に処するのは、日月が四方を照らして、物に応じて影ができるようなものです。水が四方に流れて、地形に応じて形をなすようなものです。自分は関わっていません。
解説
聖人の処し方を、光と水にたとえます。どちらも自分から形を決めず、当たった物や地形が形を決める。だから自分は関わっていないと言えるのです。前の段の跡を残さないという到達点を、なぜそうなるかの側から説明した形になっています。自分の型を持たないことが、あらゆる場面に当たれる条件だという構図です。自分の型を持たないことが、あらゆる場面に当たれる条件です。
この章句が説くこと
無我随物光水形
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