呻吟語 / 外篇・聖賢・塵我を一と為す
對境忘情,猶分彼我,聖人可能入塵不染,則境我為一矣。而渾然無點染,所謂「入水不溺,入火不焚」,非聖人之至者不能也。若塵為我役,化而為一,則天矣。
新字:対境忘情,猶分彼我,聖人可能入塵不染,則境我為一矣。而渾然無点染,所謂「入水不溺,入火不焚」,非聖人之至者不能也。若塵為我役,化而為一,則天矣。
書き下し
境に對して情を忘るるも、猶ほ彼我を分かつ。聖人は能く塵に入りて染まらざれば、則ち境我一と為る。而して渾然として點染無し。所謂る「水に入りて溺れず、火に入りて焚けず」は、聖人の至れる者に非ざれば能はざるなり。若し塵我が役と為り、化して一と為らば、則ち天なり。
現代語訳
目の前の場に向き合って情を忘れても、まだ相手と自分を分けています。聖人は塵の中に入って染まらないので、場と自分が一つになります。そして混じり気なく染みがありません。いわゆる水に入って溺れず火に入って焼けないというのは、聖人の極みに至った者でなければできません。もし塵が自分の用となり、溶け合って一つになれば、それは天です。
解説
情を忘れる段を、まだ下だとします。忘れている時点で自他が分かれているからです。その上が、染まらないまま一つになる段。さらに上が、塵が自分の用になる段で、それを天と呼びます。三段の上昇が示されており、離れることから一体になることへ向かう道筋が描かれた一段です。離れることから、一体になることへ向かう道筋です。
この章句が説くこと
塵不染一体段階天
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