呻吟語 / 外篇・廣喻・人を以て人を治む
君子之教人也,能妙夫因材之術,不能變其各具之質。譬之地然,發育萬物者,其性也,草得之而為柔,木得之而為剛,不能使草之為木,而木之為草也。是故君子以人治人,不以我治人。
新字:君子之教人也,能妙夫因材之術,不能変其各具之質。譬之地然,発育万物者,其性也,草得之而為柔,木得之而為剛,不能使草之為木,而木之為草也。是故君子以人治人,不以我治人。
書き下し
君子の人を教ふるや、能く夫の材に因るの術を妙にするも、其の各おの具ふるの質を變ずる能はず。之を地に譬ふるに然り。萬物を發育する者は、其の性なり。草は之を得て柔と為り、木は之を得て剛と為る。草をして木と為らしめ、木をして草と為らしむる能はざるなり。是の故に君子は人を以て人を治め、我を以て人を治めず。
現代語訳
君子が人を教えるのは、材に応じる術を妙にすることはできても、それぞれが備えた質を変えることはできません。地に譬えればそうです。万物を育てるのはその性ですが、草はそれを得て柔らかくなり、木はそれを得て堅くなります。草を木にし、木を草にすることはできません。だから君子は人によって人を治め、自分によって人を治めません。
解説
教えることの限界を、はっきり示します。材に応じる術は磨けても、備わった質は変えられません。同じ地の力を受けても、草は柔らかく木は堅くなります。そして結論が置かれます。人によって人を治め、自分によって治めない。自分を型にしないということで、前に出てきた、才に応じて器として使うという主張と同じ立場です。
この章句が説くこと
教育質限界草木以人治人
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