呻吟語 / 外篇・廣喻・一念すら雜ふ可けんや
左手畫圓,右手畫方,是可能也。鼻左受香,右受惡;耳左聽絲,右聽竹;目左視東,右視西,是不可能也。二體且難分,況一念而可雜乎?
新字:左手画円,右手画方,是可能也。鼻左受香,右受悪;耳左聴糸,右聴竹;目左視東,右視西,是不可能也。二体且難分,況一念而可雑乎?
書き下し
左手に圓を畫き、右手に方を畫くは、是れ能くす可きなり。鼻は左に香を受け、右に惡を受け、耳は左に絲を聽き、右に竹を聽き、目は左に東を視、右に西を視るは、是れ能くす可からざるなり。二體すら且つ分かち難し。況んや一念にして雜ふ可けんや。
現代語訳
左手で円を描き右手で方を描くのは、できることです。鼻が左で香を受け右で悪臭を受け、耳が左で絃を聴き右で笛を聴き、目が左で東を見て右で西を見るのは、できないことです。二つの体でさえ分けにくいのです。まして一つの思いを混ぜられるでしょうか。
解説
左右で別のことができるかどうかを、器官ごとに調べます。手なら別々の図を描けますが、鼻も耳も目もできません。一対に見えても、感覚は一つに統合されているからです。二つの体でさえ分けられないのだから、一つの思いを二つにはできない。身体の観察から、心の一途さを導いた一段になっています。身体の観察から、心の一途さが導かれています。
この章句が説くこと
左右感覚統合一念分割不能
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